【山岳紀行】裏岩手連峰 - 厳冬深雪の稜線を滑降す

二月の裏岩手は、静謐な雪の王国であった。厳しい寒風に閉ざされるこの山域へ、私は仲間十名と共に、山スキーという角度から挑むこととした。東八幡平温泉を拠点とした二日間の合宿は、雪と風、そして純粋な滑降への渇望に満ちていた。雄大な岩手山の懐に抱かれた源太ヶ岳と三ツ石山を巡る、厳冬期の山行の記録である。
第一部 – 急登とラッセル地獄の洗礼
深雪が試す精神の在り方
二月二十三日、深い闇の中、宮城を発った車は、松川温泉を経て源太ヶ岳登山口に辿り着いた。時刻は午前九時十八分。車中での長旅の疲労はあったが、眼前の純白の斜面への期待が、それを上回った。
出発前、私の先輩であるKが、いつものように一人ひとりのビーコンチェックを行ってくれた。雪山におけるこの厳粛な儀式が、私たちの間に命を預け合う連帯感を深めてくれる。私たちは互いの安全を確かめ合い、一歩、また一歩と深雪の森へと分け入っていった。

山は、我々を容赦なく試した。この日の登高は、短い距離で急激に標高を上げる箇所が多く、まさにラッセル天国というべき状況であった。いや、地獄か。スキーラッセル自体はそこまで苦痛でもないが、不慣れなためか、どうも無駄に力が入ってしまい効率が悪い。先頭を交代しながら進む仲間は、黙々と深い雪にトレースを刻んでくれる。その連帯感に感謝しながらも、私は己の技術の未熟さに内省的な問いを投げかけた。多人数での行動を支えたのは、唯一スキーではなく歩きで参加したMの、雪を踏みしめる堅実な足取りであった。

六年目の歓喜
標高を上げるにつれて、雪は深さを増し、稜線が近づくと、天候は豹変した。左手に見える斜面は、雪が溜まりやすく、雪崩が頻繁に発生するポイントだと知っている。細心の注意を払いつつ、稜線へ上がると強風が吹き荒れ、視界は忽ち悪くなる。

厳冬期の山が持つ峻厳な一面が、白く吹きつける雪の中に垣間見えた。短時間で稜線からの引き返しを決め、山行の核心である滑走の体勢に入る。

シールを剥がし、板が雪面を切り裂く。斜面は極上の深雪パウダーであった。山スキーを始めて六年目。以前は雪に溺れることが常であったが、今はほとんど転ばない。雪面に板が吸い付くように走り、白い噴煙が舞い上がる。この浮遊感こそ、スキーの魅力の極致であろう。長年に一度と言われる大雪がもたらした、山からの贈り物に、私はこの滑降が永遠に続けば良いとさえ思った。

下山後、我々は東八幡平温泉の「かっぱの宿」へと戻り、「森乃湯」の熱い湯に浸かった。疲労が抜けていくのを感じながら、翌日の快晴の予報に、私は新たな希望を抱いた。

第二部 – 三ツ石山稜線の攻防
快晴の朝、曇天の試練
翌二月二十四日、我々は午前八時二十三分に再び源太ヶ岳登山口から歩み始めた。快適な宿でリフレッシュした身体は軽かった。登山口からしばらく続く平坦な林道は、清々しい冷気と、時折射し込む朝日に満たされ、文字通り「ほんと気持ちの良い天気」であった。

しかし、山は容易くその懐を開かない。稜線に近づくにつれ、空の色は暗転し、たちまち曇天と強風に晒された。我々はそそくさとピークを踏み、すぐに下山を開始した。厳しくも雄大なこの山域では、天候の急変に対する備えこそが、生命線であることを改めて認識させられる。

ここからが、最も技術的な判断を要する場面であった。三ツ石山へ至る稜線は、登り下りが交互に現れるため、シールを貼ったままのウォークモードで滑走を試みる必要があった。この状態で滑るのがかなり難しい。

私はテレマークスキーであるため、この状態での滑走にあまり苦戦しない。一方、他の仲間たちは、この微妙な傾斜と、雪の抵抗にバランスを保てず、かなり苦戦していた。特に狭い樹林帯ではバランスを保てず、幾度も雪に溺れていただろうか。私は転倒こそしなかったものの、ウォークモードでの不安定な滑走は高度な集中力を要し、体力を削られた。テレマーク特有の安定性を利して滑る私の周りで、他の仲間が雪と格闘する姿は、この山行の試練の象徴であった。困難な状況下での助け合いこそが、山行の質を高める。

第三部 – トランポリン滑降の美
トランポリンの誘惑
疲労と格闘の末、一行はようやくスキーの醍醐味である滑走のための斜面へと辿り着いた。稜線直下の雪面は、深く雪を蓄えていた。それは昨日と同様、極上の深雪パウダーであった。

板が滑り出すと、身体がふわりと雪に浮くような感覚に包まれた。雪面は、まるでトランポリンのような上質なクッションであり、滑るたびに身体が弾む。この浮遊感と、雪と一体になるような解放感こそが、山スキーの持つ抗い難い魅力であろう。この至福の瞬間、二日間に及んだラッセルと強風の苦闘は、すべてこの一瞬の美しさのためにあったのだと悟った。
午後三時四十分、無事に源太ヶ岳登山口へ帰着した。
帰路に就く前、私たちは再び八幡平温泉館 森乃湯に立ち寄った。雪山の厳しさから解放され、皆が温かい湯で疲れを癒しているときだった。Kが温泉の眼の前の凍った道路で、ツルリと足を滑らせて転倒したのだ。二日間の雪山で一歩も危なげなかった彼が、緊張が解けた一瞬の出来事に笑いが起こった。この人間味溢れる一幕が、厳しかった裏岩手での山行の最高の締めくくりとなった。
裏岩手らしい稜線の厳しさと、深雪パウダーという極上の恵み。厳しくも雄大なこの山域で、山スキーという一つの滑降美を満喫した二日間であった。私は、この山に深い感謝と畏敬の念を捧げた。
【記録】
- 日程:2025年2月23日(日)〜2月24日(月)
- メンバー:11名(私、S、K、T、O、I、S、Y、S、I、M<歩き参加>)
- 山域:裏岩手連峰(源太ヶ岳・三ツ石山)
- ルート:1日目:源太ヶ岳登山口往復。2日目:源太ヶ岳登山口〜三ツ沼〜三ツ石山周回
- 行動時間:1日目:5時間20分(休憩含む)。2日目:7時間17分(休憩含む)
- 宿泊形態:温泉宿(東八幡平温泉・かっぱの宿)をベースとした合宿
- 天候:晴れ後曇り(強風)
- その他特記事項:10年に一度とされる大雪。Mはスキーではなく歩きで全行程に参加。