【山岳紀行】白峰三山 ー 八月の稜線を辿る

南アルプスの白峰三山へ。徹夜の移動で疲弊した身体を抱えながら、北岳から間ノ岳、農鳥岳へと続く稜線を辿った二日間の山行は、高山植物の彩りと白い岩壁の美しさに満ちていた。単独行として、また南アルプスの核心を歩く者として綴る、盛夏の縦走紀行。
第一部 ー 徹夜明けの入山
広河原に降り立ったのは早朝六時過ぎのことである。前夜からの移動で、睡眠をほとんど取っていなかった。バスの揺れが身体に残り、既に頭の奥が鈍く痛んでいる。

吊り橋を渡り、白根御池分岐を過ぎる。樹林帯の登山道は涼しく、木漏れ日が足元を照らしていた。北岳—標高3,193メートル、富士山に次ぐ日本第二の高峰であり、深田久弥が百名山に選んだ南アルプスの盟主—を目指す道は、大樺沢に沿って延びている。

沢音が近づいてきた。大樺沢二俣に到着したのは九時前である。ここで二十分ほど休憩を取る。水を飲み、行動食を口にしたが、頭痛は消えない。むしろ高度を上げるにつれて、痛みは増していくようであった。

二俣から八本歯のコルへ向かう道は、雪渓の脇を這い上がる急登である。足を止めては息を整え、また登る。振り返れば、バットレスの白い岩壁が眼前に迫っていた。花崗岩の垂直な壁は、夏の陽光を浴びて白磁の肌のように滑らかに輝いている。その四尾根に、小さな人影が見えた。クライマーたちが、あの壁に取り付いているのだ。あの岩壁の遙か上空から、ホシガラスの力強い鳴き声が谷底に響いてきた。

八本歯のコルに辿り着いたのは正午近くである。ここで二十分余り休んだが、頭痛は一向に治まらなかった。
第二部 ー 頭痛と稜線と
吊尾根へと続く道を行く。トラバース道との分岐を過ぎ、稜線に出た。風が心地よい。しかし頭の痛みは限界に近づいていた。

北岳山頂に着いたのは午後一時半過ぎである。しかし、山頂はガスに包まれていた。期待していた展望は得られない。八分ほど留まり、すぐに北岳山荘へ向かった。

北岳山荘に到着したのは午後三時前である。テントを設営し、すぐに横になった。徹夜移動と高所がもたらした疲労は、全身を重く圧し、意識が遠のいていくようであった。一時間ほどの深い眠りから覚めると、頭痛は幾分和らいでいた。身体に溜まっていた重い鉛が、僅かながら溶け出したように感じた。

夕刻、テントの外に出る。西日が稜線を染めていた。
翌朝、空は快晴であった。五時過ぎにテントを撤収し、間ノ岳へ向かう。稜線の道は歩きやすく、中白根山を経て、間ノ岳に着いたのは七時半前である。ここでも長居はせず、農鳥小屋へと足を進めた。
稜線を歩く快適さは、前日の苦痛からの解放感も相まって、何物にも代えがたいものとなった。風が吹き、高山植物が彩りを添えている。南アルプス固有種のタカネビランジが淡いピンクの花弁を広げ、イワツメクサが岩場を埋め尽くす。ミヤマキンポウゲの黄、ミヤマトリカブトの青紫。それらは夏の稜線に錦を織りなし、疲弊した私を静かに慰撫するようであった。西農鳥岳を経て、農鳥岳に着いたのは十時前である。ここから大門沢への下降が始まる。

第三部 ー 大門沢を下る
大門沢下降点から先は、予想以上の急降下であった。樹林帯に入ると、日差しが遮られる。しかし道は険しく、全身の疲労が急速に蓄積していく。長時間に及ぶ行動により、身体全体が重い鉛を抱えたように感じられた。

大門沢小屋に着いたのは午後一時前である。ここで三十分ほど休憩を取った。水を補給し、残りの下山に備える。だが、二日間の縦走によって極限に達した疲労は、既に隠しようがなかった。
沢沿いの道を下る。大古森沢出合を過ぎ、発電所取水口、森山橋と、標識が次々と現れる。奈良田まで、あと少し。そう自分に言い聞かせながら、黙々と歩いた。
奈良田バス停に到着したのは午後三時半近くである。二日間の行程を終え、ようやく安堵した。
振り返れば、白峰三山の稜線が遠くに見える。徹夜明けの頭痛に苦しみながらも、あの稜線を歩き通せたことに、静かな充実感を覚えた。南アルプスらしい厳しさと美しさ。盛夏の縦走を満喫した二日間であった。
記録
- 日程: 2017年8月14日(月)〜15日(火)
- メンバー: 単独行
- 山域: 南アルプス・白峰三山
- ルート: 広河原〜北岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜奈良田
- 行動時間: 1日目 約8時間、2日目 約9時間半
- 宿泊形態: 北岳山荘テント泊
- 天候: 晴れ(山頂部はガス)
- 特記事項: 徹夜移動により初日は体調不良