【山岳紀行】

【山岳紀行】須金岳・杉ノ森沢左俣 ー 転進が導いた秋の渓

北村 智明

九月半ば、北岳バットレスの荒天転進から、雄物川水系役内川の杉ノ森沢左俣へ。リーダーSの直感が選んだこの沢は、私にとって二度目の遡行であったが、前回の記憶は曖昧だった。小滝と小ゴルジュ、深い釜、そしてナメ床。再訪して初めて知る、思いの外良い沢との出会いがそこにあった。


第1部:再訪の朝

北岳バットレスを諦めたのは三日ほど前のことである。天候予報を見たリーダーのSが、代わりの山行として杉ノ森沢左俣を挙げた。彼の直感である。私はこの沢を知っていた。以前、大人数で入ったことがあるが、正直なところ記憶は曖昧だった。今回は三人だけだ。どんな沢だったか、改めて確かめることになる。

当日、私たちは二台の車で現地に向かった。一台を下山口の大森平にデポし、もう一台で入渓地点へ。民家の脇を抜けて沢に入るのが、須金の沢の特徴である。生活の場のすぐ傍らに、こうした渓谷が口を開けている不思議さを、私は毎回感じる。

杉ノ森沢左俣は、雄物川水系役内川の支流で、標高1,018メートルの水沢森へと詰め上がる遡行グレード2級の沢である。アプローチがほぼゼロという立地の良さも、この沢の魅力のひとつだった。

九月半ばという時期を考え、今回は釣り道具を持ってこなかった。前日の雨の影響か、水量はやや多めに見えた。

午前七時前、私たちは入渓した。


第2部:小滝とゴルジュの連なり

沢は記憶以上に良かった。

小滝が現れ、それを越えれば小さなゴルジュが口を開ける。そしてまたナメ床が続き、次の滝へと導かれる。このリズムの良さが、杉ノ森沢左俣の本質であった。前回はなぜこの魅力に気づかなかったのだろう。大人数での渋滞が、沢の良さを見えにくくしていたのかもしれない。

どの滝も直登可能で、明らかな核心部は存在しない。それでいて飽きさせない変化に富んだ渓相が、私たちの足を前へと進ませた。三人という人数も快適だった。Sが先頭でルートを見極め、もう一人のSと私が後に続く。淀みのない動きであった。

水面にはそこそこの魚影が見えた。釣り道具こそ持参しなかったが、この沢に魚が豊富であることは確認できた。

午前十時を過ぎた頃、洞窟が現れた。水流が岩盤を穿ち、深い暗闇を作り出している。その周辺の岩は赤味を帯びており、他の区間とは明らかに岩質が異なっていた。鉄分を含んだ地層なのだろうか。洞窟の入口で立ち止まり、その神秘的な佇まいをしばし眺めた。

ゴルジュに入ると、深い釜が待ち構えていた。

取り付きまで泳がねばならない。水温はさほど低くない。九月半ばの水であった。私が先頭で飛び込み、泳いで取り付きへ。二人のSがそれに続く。躊躇する理由はどこにもなかった。

さらに高度を上げると、両門の滝が姿を現した。

下段と合わせて七十メートルはあろうかという、この沢最大の滝である。前日の雨の影響を懸念していたが、水量は思ったほど多くはなかった。リーダーのSが左壁から取り付く。濡れた岩を慎重に選びながら、滝身を横切って右へとトラバースしていく。

滝の横断では、ずぶ濡れになることは避けられない。水流が身体を打ち、全身に水を浴びせる。それでも足元は確かであり、危険は感じなかった。念のため中間にハーケンで支点を取ったが、滑落を想定した用心であった。

私が後続で登る頃には、ルートは明確になっていた。ラバーソールが濡れた岩を捉え、一歩ずつ高度を稼いでいく。滝の轟音が耳を打つ。冷たい飛沫が顔に当たる。両門の滝を越えた時、私たちは静かに満足を覚えていた。


第3部:水沢森への詰め

両門の滝を過ぎると、沢は再び穏やかな表情を見せた。

ナメ床が続き、小滝が点在する。前半と同じリズムだったが、傾斜は徐々に緩んでいく。周囲の樹林は深く、秋の気配はまだ薄かった。ただ、時折吹く風に、季節の変わり目を感じさせる冷気が混じっていた。

午後一時前、私たちは杉の森沢左俣から更に左へと進路を取り、水沢森への詰めに入った。藪漕ぎを覚悟していたが、意外にも歩きやすい斜面が続いた。やがて登山道と合流し、午後一時五十二分、水沢森の山頂に立った。

標高1,018メートル。決して高い山ではない。しかし、この日の私たちにとって、この頂は十分に価値あるものだった。北岳バットレスへの未練は、もうどこにもなかった。

下山は大森コース登山道を辿った。午後二時十七分、大森平に到着。デポしておいた車が待っていた。

振り返れば、リーダーSの直感が導いた一日であった。全ての滝が登れる楽しさ、小滝とゴルジュとナメの絶妙なバランス、深い釜での泳ぎ。前回の記憶は曖昧だったが、再訪して初めてこの沢の本当の良さを知った気がする。思いの外、充実した遡行だった。

計画通りに進まぬことが、時に最良の結果を生むこともある。そんなことを考えながら、私は車のシートに身を沈めた。


記録

  • 日程: 2025年9月14日(日) 日帰り
  • メンバー: 3名
  • 山域: 須金岳・雄物川水系役内川
  • ルート: 杉ノ森沢入渓(6:55) → 洞窟 → ゴルジュ(深い釜) → 両門の滝 → 水沢森(13:52) → 大森コース登山口 → 大森平(14:17)
  • 行動時間: 約7時間22分
  • 天候: 晴れ
  • 水量: 前日の雨の影響で通常よりやや多めか平水
  • 宿泊形態: 日帰り
  • 遡行グレード: 2級
  • アクセス: 車2台。1台を下山口(大森平)にデポ。民家の脇から入渓。
  • 特記事項: 北岳バットレスからの荒天転進(3日前に決定)。アプローチゼロで入渓可能。魚影あり(釣り道具は持参せず)。
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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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