【山岳紀行】

【山岳紀行】雲取山 — 氷点下10度の稜線と芯まで染みる三条の湯

北村 智明

列島が最強寒波に閉ざされた一月下旬。みちのくの空を背に車を走らせ、辿り着いたのは東京都最高峰の麓――三条の湯。谷底で私を待っていたのは、肌を刺す厳冬の風と、芯まで染み渡る湯の温もりであった。白銀の稜線と湯煙の狭間で、一人の登山者が冬と対話した二日間の記録である。


第一部:宮城から丹波山へ

一月下旬、雲取山――東京都・埼玉県・山梨県の三都県境に聳える標高2,017メートルの山――への山行を計画した。日本百名山に名を連ねるこの山は、東京都最高峰として知られている。

当初は八ヶ岳のバリエーションルートである石尊稜を予定していた。しかし天気図を見れば、強烈な寒波が列島を覆っている。気象庁の発表では「この冬一番の寒気」とのことだ。慎重を期し、計画を変更した。雲取山なら、冬でも比較的安全に登ることができる。それに三条の湯という温泉のある山小屋があると聞いた。

宮城を発ったのは前日の夕刻である。東北自動車道を南下し、首都高を経て中央自動車道へ。翌朝、丹波山村に着いた時のことである。ゲート手前で車を停めると、一人の男性が近づいてきた。

「福島ナンバーだね」

山の休憩所「かゑる」の主人だという。話をしてみると、かつて安達太良山のくろがね小屋で小屋番を務めていた方だった。世間は狭い。こんな山奥で東北の山の話ができるとは思わなかった。話が弾み、結局、林道のゲートまで送っていただけることになった。これで一時間分を稼いだことになる。

ゲートで車を降り、準備を整える。気温は低い。吐く息が白く凍る。Kと顔を見合わせ、頷き合った。では、行こう。

後山林道が続く。車の入れない静かな道を、ただひたすらに歩く。左手には後山川の流れが見える。冬枯れの木立の間を、時折冷たい風が吹き抜けた。足音と川音だけが、この谷に響く。

林道を約三時間歩いた頃、登山道が始まった。そこから三十分ほどで三条の湯に到着する。標高1,103メートルに位置するこの山小屋は、雲取山中腹にある一軒宿である。

第二部:三条の湯、温もりと静寂

テント設営を済ませ、受付に向かった。小屋の佇まいは質実剛健で、飾り気がない。建物の脇には、背丈以上に積まれた薪が壁のようにそびえていた。この山奥で冬を越すための備えである。厳しい自然と向き合う覚悟が、その薪の山に表れている。

昼食は小屋で名物の鹿肉カレーを頂いた。辛めのキーマに、ゴロッとした鹿肉が入っている。臭みは全くなく、スパイスの香りが鼻腔をくすぐる。体が芯から温まった。近年、この地域では鹿の食害が深刻だと聞く。ジビエとして活用することで、少しでも山の環境を守ろうという小屋の姿勢が感じられた。

食後、温泉に向かった。山で温泉に入れる機会は稀である。多摩川の水源地につき、石鹸やシャンプーは使えないが、それでも十分だ。源泉温度は約二十度の鉱泉を沸かした湯で、四十度弱ほど。冬の冷気で冷えた体には心地よい温度だった。窓の外には冬の山が静かに佇んでいた。樹々は葉を落とし、骨格だけを晒している。その姿は、まるで墨絵のようだった。

三条の湯は標高1,103メートル。雲取山域で唯一温泉を持つ山小屋である。携帯電話も通じないこの谷底で、湯に浸かりながら過ごす時間は、まさに別世界だった。湯船から上がると、冷気が肌を刺す。しかしそれもまた、心地よい刺激である。

テントに戻り、夕食の準備を始めた。今日は行動時間が短いこともあり、普段は持ち歩かない食材を担いできた。卵、ニラ、白菜、もやし、豚肉、キムチ、豆腐。キムチ鍋を作る。山でこれだけの食材を使うのは贅沢だが、今回は許される贅沢だ。

コッヘルの中で野菜がぐつぐつと煮える音。キムチの辛味と豚肉の旨味が混ざり合い、冬の夜にふさわしい一品となった。Kと二人、鍋を囲んで冬の夜を過ごした。会話は多くない。しかし、その沈黙は心地よいものだった。

夜、テントの中で横になりながら、明日の行程を考えた。天候は安定している。三条の湯から雲取山へは、標高差約九百メートル。厳冬期のこの時期、慎重な判断が求められる。しかし同時に、山頂から見える景色への期待もあった。

テントの外からは、時折風の音が聞こえる。谷を吹き抜ける冷気が、テントの生地を揺らす。その音を聞きながら、私は眠りについた。

第三部:白銀の稜線へ

翌朝、テントの外を見ると、うっすらと雪が積もっていた。気温はマイナスの世界である。鍋の残りにラーメンを投入して朝食とし、出発の準備を整える。今日は長い一日になる。雪と凍結に備え、チェーンスパイクを装着した。

三条の湯を発つと、すぐに急登が始まった。枯れ葉と砂地で足場が安定しない。登山道は凍結と融解を繰り返し、複雑な様相を呈していた。滑りやすい箇所では、木の根や岩を慎重に選びながら進む。一歩ずつ、確実に。

やがて道は落ち着き、三条ダルミまではトラバース気味の道が続いた。日当たりの良い場所は暖かいが、日陰に入ると途端に寒さが襲う。自然の峻別は容赦ない。汗をかいた体が、すぐに冷える。体温調整のため、何度も立ち止まって衣服を調整した。

三条ダルミからは積雪が五センチほどあった。雪は薄いが、凍結している箇所も多い。チェーンスパイクの選択は正解だった。軽量で着脱が容易なこの装備は、こうした微妙な雪の状態で真価を発揮する。一歩一歩、確実に前進する。雪面は繊細な結晶の集まりで、陽光を受けてきらめいていた。

一時間ほど歩き、避難小屋を過ぎると、雲取山の山頂が見えてきた。最後の登りは息が上がる。しかし足は止めない。リズムを保ち、呼吸を整え、一歩ずつ高度を稼ぐ。

山頂には石碑が立ち、「雲取山 東京都最高峰」と刻まれている。標高2,017メートル。東京都で標高二千メートルを超えるのは、この山のみである。

山頂からの展望は素晴らしかった。富士山が、まるで白い絹を纏ったかのように、澄んだ空に浮かんでいる。南アルプスの峰々も遠くに連なる。風は強いが、空は澄み渡っている。冬の山でしか見られない、透明な世界がそこにあった。

山頂は予想外に賑わっていた。強烈な寒波にもかかわらず、十人ほどの登山者がいる。避難小屋に入り、うどんを調理した。外の気温はマイナス十度程度だろう。小屋の中は風を遮るだけで、ありがたい避難所となる。

下山は石尾根を選んだ。小雲取山を越え、ブナ坂、七ツ石山へと続く快適な尾根道である。積雪は程なく消えたが、凍結している箇所は少なくなかった。七ツ石小屋に到着するまで、チェーンスパイクを装着したまま歩いた。足元への注意を怠らず、リズムよく下る。

石尾根は防火帯として樹木が刈り払われており、展望が開けている。稜線を歩く心地よさは、登山の醍醐味の一つだ。しかし足元は油断ならない。一瞬の気の緩みが、取り返しのつかない事態を招く。

七ツ石小屋でチェーンスパイクを外し、そこからは通常の靴底で歩いた。堂所を経て、茶煮場へと下る。標高を下げるにつれ、気温が上がっていくのが分かった。

丹波山村の駐車場に着いた頃には、西の空が茜色に染まり始めていた。長い一日が終わろうとしている。

下山後、奥多摩温泉もえぎの湯へ車を走らせた。三時間で1,050円という料金設定は、下山後の登山者にありがたい。ヌルヌル系の湯が、疲れた体を包み込む。いい湯だった。二日間の山行の疲れが、ゆっくりと溶けていく。

計画の変更、偶然の出会い、温泉という贅沢、そして寒波の中の山頂。冬の雲取山を満喫した二日間であった。


記録

  • 日程: 2026年1月24日(金)〜25日(土)
  • メンバー: 2名
  • 山域: 雲取山(東京都・埼玉県・山梨県)
  • ルート:
    • 1日目: 片倉橋 → 後山林道 → 三条の湯(テント泊)
    • 2日目: 三条の湯 → 三条ダルミ → 雲取山 → 石尾根(小雲取山・七ツ石山) → 丹波山村村営駐車場
  • 行動時間:
    • 1日目: 2時間46分
    • 2日目: 9時間55分(休憩1時間57分)
  • 宿泊形態: テント泊(三条の湯)
  • 天候:
    • 1日目: 晴れ
    • 2日目: 晴れ時々雪
  • スタート地点: 宮城県内
  • 特記事項:
    • 三条の湯にて温泉・鹿肉カレーを堪能
    • 山頂付近はマイナス10度程度、強烈寒波の影響あり
    • 積雪5cm程度、凍結箇所多数
  • 装備メモ
    • アプローチシューズ
    • チェーンスパイク(三条の湯〜七ツ石小屋間で使用)
    • 防寒着(ハードシェル、フリース、ダウンジャケット)
    • 冬用テント、冬用シュラフ(-10度対応)ガスストーブ、燃料、ヘッドランプ、手袋(インナー+アウター)
  • 核心部の詳細:
    • 三条の湯からの急登は枯れ葉と砂地で足場不安定、ストックあると安心
    • 山頂付近は強風・低温に要警戒、防風対策重要
    • 石尾根は展望良好だが風を受けやすい、凍結箇所も多い
  • 注意点:
    • 後山林道は一般車両通行禁止
    • 三条の湯は携帯電話不通
    • 冬季は気温が大幅に下がるため防寒対策必須
    • 凍結箇所が多いため、チェーンスパイクまたは軽アイゼンを携行推奨
    • 下山後は奥多摩温泉もえぎの湯(3時間1,050円)が便利
    • 通常はお祭のバス停から林道を歩く

山の休憩所 かゑる | たばやま観光Navi

三条の湯 公式ホームページ


Download file: kumotoriyama-winter-climb.gpx

※このルート図は実際の山行データを基に作成しています。


GPSデータ利用上の注意

GPSデータやルート図は、あくまで参考情報としてご活用ください。

冬山登山における注意事項:

  • 積雪・凍結状況は年や時期により大きく異なります
  • 気象条件の急変に備え、常に撤退の判断ができるよう準備してください
  • 冬山装備(アイゼン、ピッケル、防寒着等)の確認を怠らないでください
  • 雪崩や滑落のリスクを常に意識し、慎重な行動を心がけてください

一般的な注意事項:

  • 実際の登山では、地図・コンパス等による現在地確認を必ず行ってください
  • 天候、季節により、ルートの状況は大きく変化します
  • GPSの電波状況により、実際の位置と誤差が生じる場合があります
  • 自己責任のもと、ご自身の技術・体力に見合った計画を立ててください

このデータの利用によって生じたいかなる損害についても、当方は一切の責任を負いません。



【追伸:次は、あなたの番です!】

雲取山での冬の山旅の記録、最後まで読んでくださりありがとうございます!

記事の中でご紹介したように、冬山には夏とは異なる静謐な美しさがあります。雪景色、澄み切った空気、そして白銀の世界。安全に配慮しながら、その魅力を味わうことができます。

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私も雲取山で感じた、あの「冬山の静寂」と「雪景色の美しさ」を、あなたにも満喫していただけるよう、心を込めてご案内します!

※ガイドツアーでは、安全と快適性を考慮し、山小屋泊(三条の湯など)でのご案内となります。

まずは、お気軽にご連絡ください。

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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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