【山岳紀行】

【山岳紀行】高田大岳 山スキー ー 五月の八甲田を滑る

北村 智明

ゴールデンウィークの八甲田へ。高田大岳(標高1,559m)の南東斜面を目指す山スキーの旅は、ブナの新緑と残雪、そして吹雪と急斜面が交錯する一日となった。翌日の南八甲田へのスキーを控え、七人のパーティーで挑んだ春の山行を綴る。


第1部:水連沼からコルへ

宮城を発ったのは未明である。東北自動車道を北上し、青森へ。令和への改元から三年、世の中はまだコロナ禍の影響下にあった。人々の移動が制限される中、我々は山へ向かった。

目指すは高田大岳である。八甲田山系を構成する山のひとつで、標高1,559メートル。東北百名山にも名を連ねるこの山は、円錐形の堂々とした山容を持ち、春山スキーの滑降コースとして知られる。北八甲田の中では静かな山行が楽しめる山だ。

水連沼脇の路肩に車を停める。既に十台ほどが並んでおり、この時期の八甲田の人気ぶりが窺える。数十年前のガイドブックには笠松峠からのルートが記されているが、車を停められる場所はここしかない。まさかこれが後に警告を受けることになるとは、この時点では知る由もなかった。

午前八時半、スタート。高田大岳と小岳を結ぶコルを目指し、残雪の上を進む。シールを貼った板が、まだ硬い雪面を捉えていく。七人のパーティーは長い列となり、各自のペースで高度を上げていく。

水連沼を越えると、ブナ林が広がっていた。新緑にはまだ早く、枝には残雪が纏わりついている。幹は白く、まるで水墨画のような静謐な世界だ。積雪に埋もれた木々が、ところどころ雪面から顔を出している。陽光が枝の隙間から差し込み、雪面に複雑な影を落とす。

この静寂が心地よい。板が雪を踏む音だけが、森に響く。仲間たちとの会話も少なく、ただ黙々と進む。それぞれが自分のペースを守り、自分の呼吸と向き合っている。

標高を上げるにつれ、雪質が変化していった。朝方の冷え込みで締まっていた雪面が、徐々に柔らかさを増す。足元は安定しているが、シールの効きを確かめながら慎重に進む。樹林帯を抜けると、視界が開けた。高田大岳の山容が眼前に迫る。

午前十一時過ぎ、コルに到着した。その途端、風が変わった。


第2部:吹雪と藪、そして大斜面

コル付近から吹雪が始まった。空は晴れているのに、風が雪を巻き上げる。地吹雪である。千切られた白布のような雪煙が稜線を奔る。気温は一気に下がり、身体の芯から冷えていく。バラクラバを持ってこなかったことを後悔した。顔が凍えるような寒さだ。

雪面は凍りついている。足元には低灌木が雪面から顔を出し、進路を阻む。シールを貼ったままでは藪が板に絡みつき、進めない。板を外し、手に持って歩くことにした。片手に板、片手にストック。バランスを取りながら、凍った藪と雪面を慎重に進む。

寒さと藪に阻まれながら、我々は少しずつ高度を稼いでいった。

コルから山頂への区間は、予想以上に藪が深かった。ハイマツではなく、低灌木が密生している。雪に埋もれきらず、しぶとく枝を伸ばしている。板を外して担ぎ、夏道らしき踏み跡を辿る。板を背負った身体は重く、バランスを取るのに苦労する。風は相変わらず強く、吹雪は止まない。

それでも、視界は悪くなかった。晴れ間が覗き、周囲の山々が見渡せる。陸奥湾の青い海が、遠くに光っている。小岳の端正な山容も美しい。

正午過ぎ、高田大岳の山頂に立った。

風は強いが、天候は安定している。八甲田の山々が連なり、翌日目指す南八甲田の稜線も見えた。視界は良好で、360度の展望が広がる。しかし、ゆっくりと景色を楽しむ余裕はない。寒さが厳しく、長居は無用だ。

休憩もそこそこに、我々は南東斜面へ向かった。

山頂から藪を漕ぎ、大斜面の取り付きに出る。そこで目にしたのは、予想を超える急傾斜だった。等高線が密に詰まった地形図通り、斜面は平均35度を超える。下が見えないほどの傾斜に、一瞬躊躇する。

シールを剥がし、板を装着する。ブーツのバックルを締め直し、ストックの長さを調整する。雪質を確かめた。表面は若干クラストしているが、エッジは効きそうだ。滑走面に雪が付着していないことを確認する。

Sが先行した。慎重にターンを刻みながら、斜面を下っていく。続いて私も滑り出す。

斜面は急だが、雪質は悪くない。風が壁のように吹き上げてくるため、滑降中は風に守られる形となった。ターンの度に板が雪面を削り、白い飛沫が舞う。身体が自然にリズムを刻む。高度がみるみる下がっていく。

その時だった。

前方でKが転倒した。次の瞬間、片方の板がビンディングから外れ、斜面を滑り落ちていく。

「板が!」

声を上げる間もなく、板は加速していった。急斜面をまっすぐに、恐ろしい速度で落ちていく。我々は呆然と、それを見送るしかない。板は斜面を数百メートルほど下り、ようやく停止した。小さな黒い点のようにしか見えない。

幸い、怪我はない。Kは残った片板でサイドスリップを繰り返しながら、慎重に下降していく。片足だけのバランスは難しく、時間がかかる。我々も後に続き、Kをサポートしながら下った。

滑降そのものは快適だった。急斜面ではあるが、雪質が良く、ターンが決まる。高度がみるみる下がっていく。風に守られた斜面は、静かで穏やかだ。

板を回収し、全員で涸沢方面へ下った。


第3部:下山、そして翌日へ

午後十五時過ぎ、キャンプ場に到着した。

テントを設営しながら、今日の山行を振り返る。吹雪と藪、そして急斜面。板の流失というトラブルはあったが、大きな怪我もなく下山できた。Kの板はビンディングの調整が必要だろう。解放値が低すぎたのかもしれない。

夕刻、Sが持参したタラの芽を天ぷらにすることになった。春の山菜である。バーナーを組み立て、コッヘルに油を注ぐ。揚げ油が熱せられ、衣をつけたタラの芽が投入される。

しかし、風が強い。バーナーの炎が横に流され、火力が安定しない。防風板を立てても、風は容赦なく吹き込んでくる。油の温度も十分に上がらない。

待つこと数分、ようやく天ぷらが揚がった。しかし、出来上がったそれは、やや生煮えで、衣も水っぽい仕上がりとなった。理想の天ぷらには程遠い。

「これは、まあ、山の天ぷらだな」

誰かがそう言って笑った。べちゃっとした食感ではあるが、それでも春の味覚である。タラの芽特有のほろ苦さが、口の中に広がる。我々は文句も言わず、それを平らげた。山で食べる食事は、すべて美味い。

夕食を終え、明日の南八甲田への計画を確認する。箒場帯ルートを予定していたが、天候予報は翌日も強い風を伝えている。稜線での行動は、今日以上の警戒が必要になるだろう。

夜、テントの中で高田大岳を振り返った。水連沼から見上げたブナの森、吹雪のコル、藪漕ぎの苦労、そして南東斜面の滑降。短い時間の中に、多くの要素が詰まった山行だった。板の流失は予想外だったが、これも山の経験のひとつである。

シュラフに潜り込み、目を閉じる。外では風が唸りを上げている。テントが揺れ、時折強い突風がファブリックを叩く。明日も風との戦いになるだろう。

翌朝、テントの外は風が強かった。予報を確認すると、稜線は一層の強風が予想される。我々は慎重を期し、計画を変更した。当初の予定を縮小し、横岳のみを目指すことにする。

翌朝、テントの外は予報通り風が唸りを上げていた。

我々は装備を整え、次の山へ向かった。

八甲田の春は、風と共にあった。


次の日の山行

【記録】

  • 日程: 2022年5月3日(火・祝) ※1泊2日の初日
  • メンバー: 7名
  • 山域: 八甲田山系(青森県)
  • ルート: 水連沼(路肩駐車) → 高田大岳・小岳のコル → 高田大岳(1,559m) → 南東斜面滑降 → 涸沢方面 → キャンプ場
  • 行動時間: 約4時間40分(8:29〜13:11)
  • 距離: 10.0km
  • 累積標高: 登り 628m / 下り 764m
  • 宿泊形態: テント泊(キャンプ場)
  • 天候: 晴れ時々吹雪
  • 雪質: 朝方締まり、日中やや緩む。コル付近は凍結。
  • 難易度: 中級者向け(急斜面滑降あり)
  • その他特記事項:
    • 水連沼路肩駐車は警告あり(駐車禁止)
    • 南東斜面は平均斜度35度超の急傾斜
    • ビンディング外れによる板流失に注意
    • 翌日は南八甲田・横岳へ

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北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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