【山岳紀行】

【山岳紀行】湯殿山 ー 成人の日、銀嶺を翔ける

北村 智明

成人の日の三連休初日、出羽三山の霊峰・湯殿山へ。志津温泉を起点とした山スキーの一日は、ビンディングトラブルという予期せぬ事態と、パウダースノーに恵まれた石跳沢の滑降に彩られた。十二名の仲間と共に辿った冬の山行を綴る。


第一部:霊峰への道

令和八年、成人の日を含む三連休の初日である。翌日以降は天候が崩れるとの予報に、多くの山スキーヤーが志津温泉周辺に集っていた。私たちもその一団である。

宮城を発ったのは早朝、まだ闇の中だった。車内では、メンバーたちが装備の最終確認をしている。十二名という大所帯である。ビンディングの締め具合、ビーコンの電池残量、ワカンの予備。一つひとつを確認していく作業は、山行の安全を支える儀式のようなものだ。

近年、暖冬傾向が続いている。この冬も例外ではなく、山形県内では例年より雪が少ないという報道を目にしていた。しかし、志津温泉に近づくにつれ、道路脇の雪壁は高さを増していく。豪雪地帯の底力を見る思いがした。

月山の麓、志津温泉へ至る道は除雪が行き届いており、我々は除雪終了点まで車を進めることができた。午前八時過ぎ、空は明るく晴れ上がっている。気温は高めで、この時期としては穏やかな朝であった。

車から降りて、改めて装備を点検する。十二名のメンバーは、技術レベルが様々である。山スキー二回目のU、そしてスノーボードで参加する者が一名。残る十名は経験者だが、それでもメンバー全体への配慮は欠かせない。ルートの選定には慎重を期す必要があった。

私は全員のビーコンチェックを実施した。一人ずつ、送信と受信を確認していく。電池残量も問題ない。雪崩のリスクは常に存在する。ビーコンは命を繋ぐ装備である。確認に妥協は許されない。十二名全員のチェックが完了するまで、十分ほどの時間を要した。

準備を終え、出発する。大所帯ゆえの難しさもあるが、同時に心強さもある。何かあった時、互いに助け合える仲間がいる。それは山における大きな財産である。

志津野営場前のバス停を過ぎる。道路標識が目の前に現れた。「鶴岡 湯殿山」と書かれた青い標識は、まだ高い位置にある。二月になれば手の届く高さまで雪が積もるが、一月のこの時期はまだそこまでは達していない。暖冬とはいえ、ここは豪雪地帯だ。積雪の深さが、この土地の冬の厳しさを物語っている。

ネイチャーセンターへと続く林道を進む。ブナの巨木が立ち並ぶ森は、深い静寂に包まれていた。枝に積もった雪が朝日を浴びて輝いている。樹氷は磨き上げられた銀器のように鋭く光り、触れれば砕けてしまいそうな繊細さを湛えていた。

ネイチャーセンターで小休止を取った後、本格的な登高が始まった。シールを貼った板が、新雪を捉えて登っていく。雪質は上々である。パウダーの感触が、これから始まる滑降への期待を高めた。

しかし、事態は思わぬ方向へ転じる。

登高を始めて間もなく、Sの叫び声が聞こえた。振り返ると、彼女が雪の上に倒れている。駆け寄って確認すると、ビンディングが取り付け部から完全に外れていた。購入したばかりの装備である。こんなことがあるのか、と私は思った。

Sは何度か取り付けを試みたが、ビンディングは二度と板に固定されることはなかった。我々は協議した。

ここで引き返すべきか。天候は安定している。ルートも危険なものではない。しかし、メンバーの一人が板を使えないという事実は、リスク要因である。時間はかかるだろう。体力的な負担も増す。それでも、Sは続行を希望した。「ワカンで登る」と彼女は言った。

安全を最優先するならば、ここで撤退という選択もある。しかし、Sの体力と精神力を信じるならば、続行も可能だ。天候は良好、メンバーは十二名。何かあれば対処できる人数である。

板をデポし、ワカンを装着したSと共に、我々は再び登高を開始した。十一名が板で、一名がワカンで。奇妙な隊列ではあったが、山行を諦める理由にはならない。

標高を稼ぐにつれ、気温の高さが身体に堪えてきた。私はウエアを一枚脱いだ。他のメンバーも同様である。冬の山スキーでこれほど暑さを感じることは珍しい。暖冬の影響は、こんな山奥にまで及んでいる。

ブナ林の美しさは、高度を上げても変わらなかった。幹に張り付いた雪、樹氷となった枝先、そして木々の間から見える青空。この景観だけでも、登ってきた価値があると思えた。

Sのワカンでの歩みは、思ったより速かった。彼女の健脚ぶりに助けられている。我々は時折立ち止まり、Sを待つ。そして全員が揃ったところで、また登高を再開する。リズムは悪くない。

午前十一時半、我々は湯殿山の山頂に到達した。


第二部:雪煙の山頂、羽毛の斜面

湯殿山は標高千五百メートル、出羽三山の一峰として古くから信仰を集めてきた山である。羽黒山、月山と共に出羽三山を構成し、「語るなかれ、聞くなかれ」と言い伝えられる神秘の霊場として知られる。修験道の聖地でもあり、かつては即身仏となる行者たちが修行に励んだ地である。夏には多くの参拝者が訪れるが、冬の山頂は、信仰とは無縁の厳しい世界であった。

山頂だけが、強い風に晒されていた。登高中は穏やかだった気候が、ここでは一変する。風が雪煙を巻き上げ、視界を奪う。白い霧が山頂を包み、我々の姿を霞ませた。身を低くしなければ、立っていることも困難である。

眼下には月山、そして遠く鳥海山の山容が見える。晴天に恵まれた山頂からの展望は素晴らしかったが、風と雪煙の強さがゆっくりと景色を楽しむことを許さなかった。

ここで、下山ルートについて確認が行われた。

事前に決めていた計画では、南東尾根を下ることになっていた。石跳沢への入り口は通過するが、沢には入らず尾根筋を辿る。メンバー全体の技術レベルを考慮すれば、尾根ルートが最適である。Sはワカンで歩いて下るしかない。全員が安全に下山できるルートを選ぶべきだ。

風の強い山頂での滞在時間は短かった。二十四分ほどで、我々は下山を開始した。

南東尾根を慎重に下る。Sはワカンで、我々は板で。スノーボードのSも、問題なく滑降している。雪質は相変わらず良好で、パウダーが板を優しく受け止めた。

やがて尾根の樹林帯に入った。ブナの巨木が立ち並ぶ斜面は、適度な傾斜で滑走に最適だった。

尾根の樹林帯の滑降は、この日のハイライトとなった。

パウダースノーが膝まで舞い上がる。ターンを刻むたびに、軽い雪煙が立ち上る。雪は羽毛のように軽く、板が雪面を撫でるたびに、微かなシュッという音が響く。これこそが山スキーの醍醐味である。技術レベルに関係なく、全員がこの雪を楽しんでいた。

Uも、二回目の山スキーとは思えないほど落ち着いて滑っていた。Sはワカンで黙々と下っていた。彼女の表情には悔しさもあっただろうが、文句一つ口にしなかった。

ブナ林の中を滑り抜ける。木々の間を縫うように、白い斜面が続いている。朝に見上げた森を、今度は滑りながら見下ろす。同じ景色なのに、視点が変わるだけでこれほど印象が異なるものか。

やがて樹林帯の開けた斜面に出た。おかわりである。

我々はこの樹林帯を登り返すことにした。せっかくの良い雪である。もう一度、あの感触を味わいたい。全員が同じ気持ちだった。

Sは先行して下山することを申し出た。我々がおかわりを楽しんでいる間に、志津温泉まで下りて待っている。その提案に、私たちは感謝した。Sの配慮が、我々に心置きなく滑る時間を与えてくれる。

シールを再び貼り、登高を開始する。先ほど滑ってきた樹林帯を、今度は登る。同じ場所でも、登りと下りでは全く異なる景色に見えた。登り返しは辛い。しかし、再び滑る喜びを思えば、この苦労も心地よい。

樹林帯の上部まで戻った時、身体は汗ばんでいた。そして再び、滑降。

二度目の樹林帯は、一度目とは違った楽しさがあった。トレースがついた斜面を滑る爽快感。雪質は変わらず良好で、我々は存分にパウダーを堪能した。一本目で学んだラインを活かし、より滑らかに、より速く。スピードに乗った板が雪面を切り裂く感覚が、全身を駆け巡る。


第三部:志津への帰還

ネイチャーセンターまで戻ってきた時、私たちは再び小休止を取った。午後二時を少し回った頃である。

ここから先は、ほぼ平坦な林道歩きとなる。滑走というよりは、スケーティングに近い動作で進んでいく。Sのワカンでの歩みも、我々の速度とさほど変わらなかった。

志津野営場前のバス停を通過し、除雪終了点の駐車地点へと近づいていく。午後二時十九分、我々は無事に下山を完了した。

行動時間は約六時間。決して長い山行ではなかったが、内容は濃密であった。

Sのビンディングトラブルは予期せぬ出来事だったが、彼女の対応と判断が山行を継続させた。東面を避けて南東尾根を選んだ判断も、結果的に正しかった。全員が怪我なく、楽しみながら下山できたのだから。

車に戻り、装備を片付けながら、私は今日の山行を振り返った。成人の日、新たな門出を祝う若者たちが全国にいる中で、我々は山にいた。それぞれの人生の節目は異なるが、山に向かう気持ちは同じである。

湯殿山のブナ林は、冬の静けさの中で我々を迎え、そして見送ってくれた。パウダースノーに恵まれた湯殿山は、山スキーの喜びを存分に味わわせてくれた。

翌日からの悪天候を思えば、この日に山行を実行できたことは幸運であった。三連休最初の一日を、十二名の仲間と共に湯殿山で過ごせたことに感謝する。

志津温泉を後にしながら、私は既に次の山行に思いを馳せていた。


記録

  • 日程: 2026年1月10日(土)
  • メンバー: 12名
  • 山域: 湯殿山(山形県)
  • スタート地点: 宮城 → 志津温泉除雪終了点
  • ルート: 志津温泉除雪終了点 → 志津野営場前バス停 → ネイチャーセンター→ 南東尾根 → 湯殿山(1,500m) → 南東尾根滑降 → 登り返し → 南東尾根滑降(おかわり) → ネイチャーセンター → 志津野営場前バス停 → 志津温泉除雪終了点
  • 行動時間: 5時間55分(休憩含む)
  • 距離: 12.0km
  • 登り: 901m
  • 下り: 921m
  • 天候: 晴れ
  • 雪質: パウダースノー
  • 気温: 高め(登高中はウエア調整が必要なほど)
  • 風: 山頂のみ強風、その他は穏やか
  • その他特記事項: 成人の日3連休初日、翌日以降は悪天候予報のため多くの登山者あり。石跳沢入り口は完全に埋まっており渡渉問題なし。下山後は水沢温泉へ。

Download file: yudonosan-ski-2026.gpx

本記事で公開しているGPSデータは、あくまで当日の記録です。以下の点にご注意ください。

  • 積雪量、雪質、天候は日々変化します。当日と同じ条件とは限りません
  • ルートの危険箇所や通過可否は、その時の状況により大きく異なります
  • 石跳沢への進入は経験者向けです。南東尾根の樹林帯ルートは比較的安全ですが、積雪状況により判断が必要です
  • GPSデータはあくまで参考情報です。ご自身の技術・経験・体力を考慮し、慎重に計画を立ててください
  • 不安がある場合は、経験者と同行するか、ガイドツアーのご利用をお勧めします

山スキーは自己責任の世界です。安全第一で楽しんでください。

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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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