【山岳紀行】

【山岳紀行】早池峰山 ー 蛇紋岩の峰と秋天と

北村 智明

十月中旬、前日の雨が嘘のように晴れ渡った朝。北上山地の最高峰、標高1,917メートルの早池峰山へ向かった。日本百名山にして花の百名山、固有種ハヤチネウスユキソウで知られる蛇紋岩の峰は、登りはガスに包まれ、下りは秋天の下に雲海を従えていた。雨に煙った前日との対比を味わいながら歩いた、二日連続の山行を綴る。


第1部:玄武温泉からの早朝

玄武温泉ロッジたちばなの朝は早かった。前夜、宿の主人に朝食を弁当に変更してもらっていた。クライアント六名と私は、まだ暗いうちに宿を発った。

前日の三ツ石山での雨登山の疲労は、確かに身体に残っていた。しかし、今朝の空は昨日とは打って変わって晴れている。車を走らせながら、私は天候の回復に安堵していた。

小田越登山口に到着したのは午前八時過ぎであった。河原坊から小田越へ向かう林道を歩き始める。クライアントたちの足取りは、前日より少し重かった。二日連続の山行である。無理はさせられない。

早池峰山—標高1,917メートル、北上山地の最高峰にして日本百名山、花の百名山に名を連ねる名峰である。全山が超塩基性岩の蛇紋岩で構成され、ハヤチネウスユキソウをはじめとする固有種の宝庫として知られている。古くから信仰の山として崇められ、麓では早池峰神楽が今も舞い継がれている。

自民党総裁選が終わったばかりの頃であった。国会では首相指名の議論が続いている。しかし山は、そうした政治の喧騒とは無縁である。

「今日は天気が良さそうですね」

誰かがそう言った。私も頷いた。昨日の雨を思えば、今日の晴れは格別である。

樹林帯を抜け、御門口に差し掛かる頃、ガスが湧き上がってきた。視界が白く閉ざされていく。前日の雨の名残だろうか。それとも山の気まぐれか。

しかし、この辺りでクライアントの一人が体調不良を訴えた。前日の疲労が残っているのだろう。午前十時頃である。

「ここでリタイアします」

彼はそう言った。無理は禁物である。ガイドとしての判断は、常に安全を最優先する。彼には登山口で待機してもらうことにした。

残りの五名と、私は登山を続けることにした。


第2部:蛇紋岩の峰を登る

御門口を過ぎると、登山道は徐々に岩がちになってくる。早池峰山は全山が超塩基性岩のかんらん岩や蛇紋岩でできている。特徴的な灰緑色の岩が、足元に広がっていた。

蛇紋岩は滑りやすい。特に濡れている場所では、ラバーソールでも慎重を要した。私は先頭を歩きながら、後続に声をかけ続けた。

「ここは滑ります。足元に注意してください」

クライアントたちは黙々と登っていく。前日の雨の山で鍛えられたのか、誰も弱音を吐かない。

合目標識が次々と現れる。三合目、四合目、五合目。高度が上がるにつれ、樹林が疎らになっていく。

五合目を過ぎると、梯子が現れた。蛇紋岩の岩壁に架けられた鉄製の梯子である。濡れていないか、揺れはないか。一つ一つ確認しながら登る。

「梯子は一人ずつ、慎重に」

私は後続を振り返りながら声をかけた。クライアントたちは黙々と梯子を登っていく。前日の雨の山で鍛えられたのか、誰も不安を口にしない。

そして、思いがけない花に出会った。

ナンブトラノオとミヤマキンバイが、それぞれ一輪ずつ、岩の間に咲いていた。十月も半ばである。よくぞ残っていてくれた。ハヤチネウスユキソウの白い花殻は、既に枯れて茶色くなっていた。花の季節は、とうに過ぎている。

七合目を過ぎ、天狗の滑り岩に到着する。名前の通り、滑らかな一枚岩が急傾斜を描いていた。ガスは相変わらず濃い。展望はほとんどない。

それでも、登りは順調だった。八合目、剣ヶ峰分岐を過ぎ、午後零時過ぎ、早池峰山の山頂に立った。


第3部:秋天の帰路

山頂は意外なほど温かかった。前日の三ツ石山の稜線とは対照的である。ガスに包まれながらも、風は穏やかだった。

早池峰神社の奥宮に手を合わせる。信仰の山である。古くから修験者たちが登り、麓では早池峰神楽が舞われてきた。そんな歴史の重みが、この山にはある。

四十分ほど山頂で休憩を取り、下山を開始した。門馬コース分岐を過ぎた頃、ガスが晴れ始めた。

そして、眼下に広がったのは雲海であった。

白い海原が、どこまでも続いている。遠く、岩手山が頭を出していた。昨日の雨が嘘のような、秋天の下の絶景であった。

「すごいですね」

クライアントの一人が、感嘆の声を上げた。皆、立ち止まって雲海を見つめていた。前日の雨とは打って変わった光景に、疲れも忘れたようだった。

蛇紋岩の岩場を慎重に下る。登りよりも、下りの方が滑りやすい。私は後ろを振り返りながら、全員の様子を確認し続けた。

天狗の滑り岩を過ぎ、七合目、六合目と標高を下げていく。眼下には、色づいた紅葉が山肌を覆っているのが見えた。赤、黄、橙。秋の炎が山を染めるように、鮮やかな彩りが青空の下に広がっている。

樹林帯に入ると、ガスも完全に晴れた。秋の青空が、木々の間から覗いていた。

御門口まで下り、小田越へと向かう林道に入る。ここまで来れば、もう安心である。

午後四時前、河原坊を経て登山口駐車場に戻った。約八時間の山行であった。


前日の雨の三ツ石山。そして今日の秋晴れの早池峰山。対照的な二日間は、しかしどちらも、山の本質を教えてくれた。

雨もまた山。晴れもまた山。そして、その全てを受け入れることこそが、山を歩くということなのだと思う。

蛇紋岩の峰に咲く花は、既にその季節を終えていた。しかし、一輪のナンブトラノオとミヤマキンバイが、十月の山に彩りを添えてくれた。それだけで、この山行は十分に価値があったのである。


前の日の山行

記録

  • 日程: 2025年10月13日(月) [日帰り]
  • メンバー: 7名(ガイド1名、クライアント6名)
  • 山域: 早池峰山(岩手県花巻市・遠野市・宮古市)
  • ルート: 河原坊 → 小田越 → 御門口 → 三合目 → 天狗の滑り岩 → 早池峰山 → 往路下山
  • 行動時間: 7時間53分(休憩含む)
  • 宿泊形態: 日帰り(前泊:玄武温泉ロッジたちばな)
  • 天候: 晴れ(登り:ガス、下り:晴れ・雲海)
  • スタート地点: 玄武温泉(早朝出発) → 登山口(午前8:00頃着)
  • その他特記事項: 前日に三ツ石山登山、山頂は温暖、下山時に雲海展望、ナンブトラノオ・ミヤマキンバイ各1輪開花、ハヤチネウスユキソウは花殻のみ
Download file: 早池峰山20251013.gpx

【追伸:最高の「劇的な一日」を、安全に叶えませんか?】
早池峰山での二日間の山行記、最後までお読みいただきありがとうございます!

天気が回復し、ガスが晴れて眼下に雲海が広がったあの瞬間は、まさに山の女神からのサプライズでした。また、体調不良の方を無理させず引き返す判断も、ガイドとしての重要な仕事です。

「予報に左右されず、安全に最高の絶景に出会いたい」

「滑りやすい蛇紋岩の岩場も、プロと一緒なら挑戦してみたい」

「体力に不安があるけれど、諦めたくない山がある」

お客様の「感動」と「安全」を両立させるのが、わたしの個人ガイドツアーです。

登りはガスでも下りで雲海に出会うような、予測不可能な山のドラマを、ガイドとしての確かな経験と判断力で、あなただけの安全な物語へと導きます。

まずは、あなたの「次に見たい絶景」、または「挑戦してみたい山」を、私に教えてください。おしゃべりする感覚で、お気軽にご連絡くださいね!

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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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