【山岳紀行】

【山岳紀行】魚野川本流 ー 夏の終わりの三日間

北村 智明

八月半ば、奥志賀の魚野川本流へ単独で向かった。信濃川水系中津川の支流として知られるこの川は、連続するゴルジュと豊かな魚影で遡行者を魅了する。福島から野反湖へ車を走らせ、過酷なアプローチと三日間の遡行に挑んだ記録である。


第一部:薮を越えて、ゴルジュへ

野反湖の展望台兼案内所の駐車場に車を停めたのは、八月十二日の早暁であった。この日は県の職員が県境稜線トレイルのアピールに訪れており、私は入山の意思を告げた。世間では前日、福島第一原発の処理水海洋放出が始まったばかりである。山は変わらぬ姿でそこにあるが、世の中は刻々と動いている。

地蔵峠を越え、西大倉山方面へ向かう。踏み跡は薮に覆われ、時折ルートを見失った。夏の暑さは容赦なく、脱水症状に陥りかけた。水をがぶ飲みし、十五分ほど休憩する。沢に入る前に救助要請など、冗談ではない。

下りは気持ちの良いトレイルとなった。小屋らしき建物の倒壊した跡から藪を漕いで入渓する。ダムまで行く選択肢もあったが、ここから入ることにした。

川である。先日の葛根田川ほどではないが、相当な水量だ。渡渉に神経を使う。桂カマチ、箱淵、不動コイデと、ゴルジュが次々に現れた。臍まで浸かる深さの釜を、浮きそうになりながらも歩いて通過する。状況によっては大高巻きか撤退を強いられる箇所だ。へつりも多く、重い装備が肩に食い込む。

ゴルジュを抜けた辺りから竿を出した。入れ食いである。ルアーも毛鉤も要らないのではないかと思えるほどだ。釣り上がりながら河原状の地形に入り、時刻も良い塩梅となったので標高千百五十メートル付近でビバークとした。今日の高級ホテルは、まあ、慎ましい寝床である。イワナのたたき丼を作り、生の岩魚を味わう。これは沢屋の特権だ。


第二部:滝と巨岩の道

二日目は河原歩きから始まった。やがて深い釜を持ったカギトリゼンが現れ、そこからナメ滝が連続する。幅が広く水量も多い。見応えのある美瀑である。パーティーなら装備重量を減らせるから登れる滝もあるだろう。しかし単独行の私には、巻きという選択しか残されていなかった。

イワスゴゼン、スリバチゼン、ヘリトリゼン。左岸から次々と巻いていく。釜には必ず魚影がある。小ぶりの岩魚はリリースし、大きなものだけを持つ。岩の周りは深く、魚は警戒していた。

庄九郎大滝が現れた。水線左が登れそうにも見えたが、左岸のガレた箇所から大高巻きとした。安全圏まで相当登る。そこから巨岩帯が出現した。岩が大きすぎて水線上を進めない。右往左往を繰り返し、時間だけが過ぎていく。

午後三時を過ぎてビバーク適地を探すが、なかなか見つからない。南ノ沢出合から一キロ手前の標高千六百二十メートル地点に、四時半頃にようやく到着した。濡れた身体を温めようと薪を集め、火をつけた矢先、土砂降りの雨である。落胆は大きかった。仕方なくガスで料理を作る。増水が気になり、寝付けぬ夜となった。岩魚の蒲焼丼だけが、救いであった。


第三部:源頭へ、そして稜線を越えて

三日目は雨であった。想定内だ。台風が来ている。多少の増水はあるが、進める。いくつか滝をクリアして南ノ沢出合に到着した。ここで一対一に分かれ、水量は半分になる。川から沢らしくなった。

南ノ沢の最初の滝辺りまでは魚影があった。二、三メートルの小滝をいくつも越える。水深は深くても膝下である。小滝と藪漕ぎで標高二千メートル弱まで高度を稼がねばならない。

魚野川最初の一滴に到達した。この上は藪だ。藪漕ぎは人気の沢らしく踏み跡があり、太い笹藪の隙間を縫うように抜けられた。容易である。稜線に出ると暴風雨に見舞われた。何も見えない。登山道は薮に覆われているが、踏み跡はある。ダン沢の頭辺りから刈り払いがされているが、刈った笹が放置され、もはや滑り台だ。スキー板が欲しいくらいである。

登りも下りも急登で、ぬかるんでいる。嫌というほど転んだ。暴風雨で寒いくらいなのに、水を二リットル消費した。天気が良かったら、本当に危なかった。朝食を抜いて計画より一時間早く出たのに、一時間半遅れて野反湖に辿り着いた。

風が強すぎて着替えもままならない。野反湖展望台兼案内所のトイレで着替えさせてもらった。

魚野川本流。連続するゴルジュ、無数の滝、豊かな魚影。過酷なアプローチと暴風雨の下山を経て、私は多くを得た三日間であった。渓相の素晴らしさは言うまでもない。米さえあれば遡行できる、と言えば大げさかもしれないが、岩魚は確かに豊富だった。

奥志賀らしい懐の深さを、全身で感じた山行であった。


記録

  • 日程: 2023年8月12日(土)〜14日(月)
  • メンバー: 単独
  • 山域: 奥志賀・志賀高原(長野県・群馬県)
  • ルート: 野反湖 → 地蔵峠 → 西大倉山 → 入渓 → 桂カマチ・箱淵・不動コイデ → c1150ビバーク → カギトリゼン → 庄九郎大滝 → c1620ビバーク → 南ノ沢出合 → 魚野川源頭 → ダン沢ノ頭 → オッタテ峠 → 大高山 → 高沢山 → 三壁山 → 野反湖
  • 行動時間:
    • 1日目: 8時間45分
    • 2日目: 10時間54分
    • 3日目: 10時間12分
  • 宿泊形態: ビバーク(c1150、c1620)
  • 天候:
    • 1日目: 晴れ
    • 2日目: 晴れ、夕方から土砂降りの雨
    • 3日目: 暴風雨
  • 水量: 平水かやや多め
  • 難易度: 遡行グレード3級、登攀グレードⅡ級
  • スタート地点: 福島県内 → 野反湖
  • その他特記事項: 台風接近による悪天候、単独遡行
Download file: 魚野川本流20230812.gpx
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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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