【山岳紀行】雪上訓練 ー 雪を観て、つながり、備える三日間
三月末、東北の山はまだ冬の衣をまとっていた。森吉山での積雪観測研修を皮切りに、蔵王の振子沢でのロープワーク訓練、そして賽の磧での雪崩講習へ。雪の科学から技術の習得、そして命を守る備えへ。雪とはいったい何者か——三日間、その問いと向き合い続けた。
第一部:雪を観る日 ー 森吉山
福島を発ち、北へ向かう高速道路を走るうちに、空はしだいに灰色を深めた。三月二十六日、秋田県・森吉山への積雪観測研修。防災科学技術研究所雪氷防災研究センターの荒川氏を講師に迎えたこの研修は、私がこれまで経験してきた山の講習とは、少し異なる性格を持っていた。

阿仁ゴンドラの山頂駅に降り立つ前、まず二時間の座学があった。水と氷と雪の物理化学。H₂Oという単純な分子が、温度と圧力の加減によって、どれほど多彩な表情を見せるか。雪の結晶が積み重なり、変態し、締まり、やがて氷へと向かっていく過程。荒川氏の講義は、山で何気なく踏んでいた白い斜面の下に、目には見えない複雑な層状構造が存在することを静かに教えてくれた。

研修は午後、野外へと移った。雨と雪が混じる曇天のなか、ゴンドラで山頂駅へ上がる。普段の登山では手にすることのない研究用の機材を荒川氏から渡された。積雪サンプルの採取、層ごとの観察、データの取りまとめ。スコップで雪を切り崩し、断面を丁寧に記録していく作業は、地味ではあったが、確かな知的興奮を伴うものだった。

雨まじりの風が頬を打つ。ゴンドラ山頂駅周辺の積雪は、春の訪れとともに変質しつつあった。表面近くには粒状に締まった雪、その下には昨冬からの圧縮層、さらに深部へは秋の初雪の名残とも言うべき細かい結晶が眠っている。一枚一枚の層は、それぞれの時代の気象を記録した年輪のようなものである。

受講者は八名。山岳ガイドや山岳関係者が多く、雪を「登る対象」「滑る対象」として見てきた者がほとんどである。しかし、この日の研修を経て、雪を「読む対象」として捉え直すという視座の転換が、参加者の中にじわりと浸透していく様子が感じられた。私もその一人だった。
帰路、スキーで山麓へ向かいながら、傍らに残る樹氷の名残を眺めた。森吉山は花の百名山に数えられ、アオモリトドマツの樹氷で知られる山域でもある。三月末ともなれば樹氷の盛りはとうに過ぎているが、白く塗り込められた稜線の木々は、まだ冬の記憶を手放していなかった。
第二部:雪上をつなぐ日 ー 振子沢
三月二十八日、快晴。澄川スノーパークを夜明け前に発ち、雪の蔵王へと入った。
今日の目的地は振子沢。蔵王の東側、刈田岳の裾野から流れ下る沢地形である。最高峰の熊野岳(標高1,841メートル)と刈田岳(1,758メートル)を核心部に抱える蔵王連峰は、有史以来三十回を超える噴火記録を持つ活火山群でもある。賽の磧を経由し、ひよどり越えで稜線へ、そして振子沢へ——往復八時間半の行程は、訓練のための移動であるとともに、それ自体が蔵王の懐の深さを体感する山行であった。
メンバーは十二名。賽の磧(標高1,246メートル付近)を通過するとき、火山岩と火山礫が堆積した荒涼とした広がりが雪の下に眠っていることを思った。真冬ならば吹き晒しの岩原であるこの場所も、今は一面の白い斜面として、静かに一行を通す。三途川が流れるこの高原に「賽の磧」という地名がついたのは、信仰の時代に山を目指した人々の、山への畏れと敬意の表れであろう。
ひよどり越えの稜線に出ると、視界が一気に開けた。春の陽光が雪面を白く焼いていた。振子沢へ下る斜面は、見た目の穏やかさとは裏腹に、雪面の状態を注意深く読む必要のある地形だった。

訓練の中心は、コンテとスタカット——雪上移動における二つの確保技術である。コンテは、ロープで結ばれた者が同時に行動する技術。スタカットは、一方が確保しながら、もう一方が動く技術。

この訓練を組んだ背景には、一つの問いがある。ヨーロッパの山岳関係者から、「日本人はフリーで行動する場面でも、なぜコンテを使わないのか」と指摘を受けたことだった。ロープを出すほどでもない、しかし万が一の転滑落が許されない地形——そこでコンテを選ぶかどうかは、技術の問題であると同時に、安全に対する考え方の問題でもある。欧米の山岳文化では、そうした局面でのコンテ活用がより日常的に根付いている。
両者の違いは、危険地帯における「つながり方」の哲学と言ってもよい。同時に進む緊張と、区切って待つ慎重さ。状況を読み、どちらを選ぶかの判断そのものが技術だと、訓練を通じて改めて感じた。

この日、印象に残ったのは雪庇を切って乗り上げた場面だった。稜線近くで発達した雪庇の縁に立ち、ピッケルで雪庇を切り崩しながら乗り越える。斜面の向こう側が見えない瞬間の、あの静かな緊張。雪庇は、雪山における最も視覚的に判断を惑わせる地形の一つである。踏み出す一歩の前に、立ち止まって考える時間を持つこと——それが、ここに来る前に座学で学んだ「雪を読む」ということの、実践的な意味だと思った。
下山の途、賽の磧から澄川スノーパークへと戻る稜線に、西日が斜めに差し込んだ。雪面は橙色に染まり、踏み跡だけが黒々と続いていた。
第三部:雪の危険に備える日 ー 賽の河原
三月二十九日、二日続きの快晴。前日より三十分遅い出発で、再び澄川スノーパークから蔵王へ入った。
この日は私が講師を担当する雪崩講習である。受講者は十三名。前夜から、伝えるべきことの順序と言葉を頭の中で何度も整理した。知識として知っていることと、それを他者に伝えることの間には、深い隔たりがある。

賽の磧周辺の山域。刈田岳東麓に広がるこの高原は、風の通る開けた地形で、雪崩実習の場として適している。午前中はビーコンの確認から始めた。雪崩ビーコン——正式にはアバランチトランシーバーと呼ぶ——は、雪崩に埋没した際に生存者の位置を発信し、また仲間の埋没者を探知するための機器である。毎回の行動前に全員の機器が正常に動作するかを確認すること、その習慣の徹底こそが、まず最初に伝えるべきことであった。

捜索訓練では、あらかじめ雪面下にビーコンを埋め、受講者に実際の捜索を試みてもらった。シグナルを受信し、強度を追い、絞り込み、プローブ(ゾンデ棒)で埋没位置の特定を試み、スコップで掘り出す。この一連の流れを、頭で理解していても実際にやってみると、いかに難しいかが身に染みる。受講者の多くが、シグナルの追い込みで迷い、プローブ操作に手間取った。雪崩に埋まった人間の生存限界は平均十五分と言われている。その重さが、訓練のなかで初めて実感を持って届く瞬間が、確かにあった。

クレバスレスキューでは、雪面に落ちた仲間を引き上げる技術を練習した。自己確保、プーリーシステムの構築、引き上げの力配分。技術そのものよりも、冷静さを保ちながら一つひとつの手順を踏んでいく、精神的な訓練でもある。
この春、長野と新潟の県境に位置するスキー場で、前兆のない大規模な雪崩が斜面を走り、幅百八十余メートルにわたって雪が崩落したというニュースが、山岳関係者のあいだを静かに流れていた(全層雪崩と報じられたが、表層雪崩とする見解もある)。雪解けが進むと、積雪と地面の境目に水が入り込み、それが滑り面となって雪塊全体が動き出す。三月末という時期は、山が最も油断を誘う季節でもある。美しい晴天と緩んだ雪面のなかに、危険の種が静かに育っている。
講習を終え、参加者の一人が「難しかった」という言葉を口にした。その「難しかった」は、批判ではなく、学びの証だと受け取った。
澄川スノーパークへ戻る斜面を下りながら、三日間を静かに振り返った。森吉山で雪の断面を読んだこと。振子沢で雪庇を切り、ロープで仲間とつながったこと。そして今日、捜索の難しさを受講者とともに体感したこと。雪は白く均質に見えて、その内側に複雑な時間と力を蓄えている。それを知る者と知らない者とでは、同じ斜面に立ったときの判断が、大きく変わる。
春の陽光に溶けかけた雪面が、夕刻の冷気に再び締まっていく。蔵王の山は、静かに、しかし確かな表情でそこにあった。
記録
- 日程:2026年3月26日(木)・3月28日(土)・3月29日(日)
- 山域:秋田県 森吉山(1日目)/蔵王連峰・振子沢・賽の磧周辺(2・3日目)
- 山行スタイル:雪上講習会(積雪観測研修・雪上訓練・雪崩講習)
- メンバー:8名(3月26日)/12名(3月28日)/13名(3月29日)
- スタート地点:福島 → 森吉山阿仁スキー場(1日目)/福島 → 澄川スノーパーク(2・3日目)
- ルート:
- 3/26:阿仁ゴンドラ山頂駅周辺(積雪観測)
- 3/28:澄川スノーパーク → 賽の磧 → ひよどり越え → 振子沢(訓練)→ ひよどり越え → 賽の磧 → 澄川スノーパーク
- 3/29:澄川スノーパーク → 賽の磧周辺山域(雪崩講習)→ 澄川スノーパーク
- 行動時間:
- 3/26:2時間28分(うち座学2時間を含む)
- 3/28:8時間31分
- 3/29:7時間03分(うち実習・休憩5時間47分)
- 天候:3/26 雨雪 / 3/28 晴れ / 3/29 晴れ
- 宿泊形態:各日帰り
- 各日の内容:
- 3/26:積雪観測研修(講師:防災科研・荒川氏)/座学(水・氷・雪の物理化学)・野外実習(研究用機材による積雪サンプル採取・観察・データ取りまとめ)
- 3/28:雪上訓練 / コンテ・スタカット訓練、雪庇通過
- 3/29:雪崩講習(講師担当)/ ビーコンチェック・捜索訓練・クレバスレスキュー
- 装備:アイゼン、ピッケル、ハーネス、ビーコン、プローブ、スコップ、ロープ
- 注意点:3月末は全層雪崩に注意。賽の磧周辺は春の融雪により雪面状態が日内変動する
- 推奨時期:雪上技術訓練は残雪が安定する3月が適期
【追伸:次は、あなたの番です!】
蔵王での雪上訓練記録、最後まで読んでくださりありがとうございます!
記事の中でご紹介したように、冬山や残雪期の山は、その白さとは裏腹に、複雑な危険を内包しています。しかし、正しい知識と技術があれば、雪の山はこれほど豊かな舞台はありません。
当方では、雪山に関する講習を以下の3種類ご用意しています。
1. 雪崩から身を守る講習
雪崩に巻き込まれないための判断力を養う講習です。リスクアセスメント(地形・斜度・雪質からリスクを評価する方法)、コンプレッションテスト(積雪の不安定性を現地で確認する実技)、雪質観察(結晶の種類・層の読み方等)を実践的に学びます。入山前の判断と、山中での意思決定の質を高める内容です。
2. 雪崩にあったときの対処講習
万が一雪崩に遭遇したときに、仲間を救出するための技術を身につける講習です。行動前のビーコンチェック、ビーコンを使った埋没者の捜索、そしてプローブ・スコップによるレスキューの流れを実践的に訓練します。今回の記事で描いた「十五分の壁」を、自分ごととして体感していただける内容です。
3. 雪上歩行・ピッケル・アイゼン講習
アイゼンの装着と歩行技術、ピッケルの持ち方と使い方、そして滑落停止の実践まで。冬山・残雪期に初めて踏み出す方が、安心して雪の斜面に立つための基礎を丁寧にお伝えします。
「雪山に興味があるけど、何から始めればいいかわからない」
「滑落が怖くて、雪の急斜面で足がすくむ」
「万が一のとき、仲間を助けられる自信がない」
もしそう感じたなら、次はぜひ私にお任せください!
雪山の技術は、一度学べば終わりではありません。山に入るたびに雪は表情を変え、判断を迫ってきます。だからこそ、実際の雪の上で、繰り返し体に覚えさせることが大切です。講習の内容や進め方など、まずは気軽にご相談ください。

