【山岳紀行】

【山岳紀行】鳥海山・笙ヶ岳 ー 五月の出羽富士、忘れ物だらけの一日

北村 智明

五月の鳥海山へ。Oからの突然の誘いを受けて、四人で踏み込んだ出羽富士の残雪期は、忘れ物と脱水が重なる散々な一日であった。それでも、あの広大な白い斜面と、鳥海湖を見下ろす稜線の眺望は、すべての失態を帳消しにして余りあった。山とはそういうものだ、と改めて思う。


第一部:Oの誘いと、忘れ物の発覚

二日前の夜、Oからのメッセージが届いた。「日曜、笙ヶ岳に行くが来るか」。天気予報を確認する。晴天の予報だ。返事をして、参加を決めた。計画はOとM、Kの間で既に動いており、私はそこへ混ざる形であった。

今シーズンは雪が少なかった。少ないなりに機会を探していたが、結局まとまった山スキーへは出られないまま五月を迎えていた。久々に板を担いで山に入るという事実が、どこかで油断を生んでいたのかもしれない。

鳥海山は山形・秋田の県境に位置する標高2,236mの独立峰で、その端正な山容から「出羽富士」とも称される。東北第二位の高峰であり、複式火山特有の変化に富んだ地形が、残雪期のバックカントリーを愛好する者を引き寄せる。笙ヶ岳しょうがたけ(1,635m)は本体から西に延びる支峰で、鳥海湖・日本海・庄内平野を一望できる好展望の山だ。

福島を発ち、東北道を北上する。阿武隈の山並みがまだ春霞に沈む季節、庄内平野では水田に水が張られ始め、鳥海山の白い裾野が鏡面に映り込む頃でもある。そのバックカントリーの最盛期は、毎年四月下旬の鳥海ブルーライン開通を合図に始まる。

鉾立と吹浦口の中間、標高1,116m付近の路側帯に車を停めた。スキーを担いで車道を少し歩き、雪が残る斜面の取り付きへと向かう。ここで既に、日焼け止めを忘れたことに気づいた。サングラスもない。スキーアイゼンも、ヘルメットも積んでこなかった。出発前のチェックを怠った代償は、この先の山行を通じてじわじわと効いてくることになる。

シールを貼り、斜面に踏み込む。五月中旬の融雪期ならではの藪漕ぎが待っていた。灌木が雪面から顔を出し、板が引っかかる。四人が黙々と藪をかわしながら高度を稼いでいく。晴天の日差しは早くも強く、汗が止まらない。水を飲む。また飲む。この時点でペースを乱していたのだと、後になって気づいた。


第二部:笙ヶ岳の東斜面へ

高度が上がるにつれて藪が消え、広大な雪原が開けてくる。鳥海山の東北、祓川側からのスキーヤーのシュプールがはるか遠くに見える。振り返れば庄内平野の水田が、大きな鏡となって空を映していた。

笙ヶ岳山頂に着いたのは10時49分であった。風はほとんどなく、暑いほどの陽気だ。四人で小休止を取りながら、眼下の地形を読む。東斜面へのドロップラインを確認する。稜線の一部に雪庇が張り出している箇所があった。崩落の危険を冷静に見極め、その箇所を避けてドロップポイントを定めた。

東斜面に飛び込んだ瞬間だけは、日本海へ向かって滑り降りていく感覚があった。視界の先に庄内平野が広がり、その向こうに海の気配がある。鳥海山のバックカントリーにおける、この方角への滑走だけが持つ開放感だ。しかし雪面はすぐに本性を現した。上部から既に凸凹が激しく、板が弾かれる。気温の上昇と多くの滑走者によって雪面は荒れ、終始まともなターンを描けないまま斜面を落ちていった。スピードを抑え、一ターンごとに丁寧に板を踏みつけるしかなかった。

沢を詰め、御浜小屋への登り返しに入ったところで、スキーアイゼンの不在が深刻な問題として浮上した。斜度が増すにつれて、シールだけでは板がずり落ちる。一歩踏み込むたびに半歩後退する。こらえながら体重を前に預け、ひたすらキックをかけて登り続ける。四人の中で最も消耗した区間がここであった。


第三部:御浜小屋、そして黄色い湯へ

御御浜小屋に着いたのは12時41分。小屋の周囲はまだたっぷりの雪に覆われ、鳥海湖が白と青のコントラストを見せていた。昼食をとっていると、Mが「オコジョがいた」と言った。小屋の陰で一瞬見かけたらしい。私には確認できなかったが、Mの顔が少し上機嫌になっていた。腕と脚が攣り始めた。脱水の症状だと分かっていた。水の補給が遅れていた。行動に没頭するあまり喉の渇きを自覚しにくかったことと、忘れた日焼け止め・サングラスの影響で体への負担が積み重なっていた。

春のバックカントリーにおいて、五月の強烈な紫外線と急速な体温上昇は見落とされがちなリスクだ。雪面からの照り返しは容赦なく、行動中の発汗量は夏山に劣らない。それを今日ほど実感した山行はなかった。

Oは鳥海湖へも板を向けた。鳥海湖へと落ちるラインを一本こなし、戻ってきた彼女の顔に満足の色があった。雪質が悪くとも、滑れる斜面がある限り滑る。そういう人間が山スキーを続けるのだと、横目で見ながら思った。

小屋で十分に休んだ後、御浜・鳥海湖分岐を経て河原宿へと下る。雪は最後まで凸凹のまま緩まず、板を押さえ込む脚にじわじわと疲労が溜まった。それでも標高が下がるにつれて、海が見えてきた。日本海が、くすんだ銀色に光っていた。滑走中には見えなかったあの海が、下山路の先に静かに広がっている。出羽富士の懐から日本海へと続くこの稜線の長さが、そのとき初めて腑に落ちた気がした。ゴール地点に着いたのは14時10分。合計6時間05分の山行であった。

下山後、遊佐町の鳥海温泉保養センターあぽん西浜に立ち寄った。脱衣所で鏡を見ると、顔が真っ赤に日焼けしていた。浴槽に注がれた湯は、黄色みを帯びた独特の色合いをしていた。ナトリウム塩化物泉の特徴で、塩分が肌に被膜をつくり、体の芯から温める。攣った筋肉が、じわじわとほぐれていく。

忘れ物だらけで、脱水になって、雪は終始悪かった。それでも出羽富士は私たちを受け入れてくれた。Oの一本の連絡から始まった一日は、次の山行への宿題を山ほど抱えて終わった。山はいつも正直である。準備の甘さをそのまま返してくる。しかし、下山路の先にふと現れた日本海の輝きだけは、何度でも見に来たいと思った。


記録

  • 日程:2026年5月17日(日)日帰り
  • メンバー:4名(私、M、O、K)
  • 山域:鳥海山(山形県飽海郡遊佐町・秋田県にかほ市)
  • ルート:鳥海ブルーライン路側帯(1,116m)→ 笙ヶ岳(1,635m)→ 御浜小屋(1,450m付近)→ 御浜・鳥海湖分岐 → 河原宿 → ゴール地点
  • 行動時間:合計 6時間05分(山行 5時間32分、休憩 33分)
  • 距離:11.9km 登り 879m 下り 879m
  • 宿泊形態:日帰り
  • 天候:晴れ(強烈な日差し、暑い)
  • スタート地点:福島市内から東北道経由、鳥海ブルーライン
  • 装備:山スキー一式、シール、スキーアイゼン(※忘れたため未使用)、ヘルメット(※忘れたため未使用)、サングラス(※忘れたため未使用)
  • 滑走斜面:笙ヶ岳東斜面(雪庇あり・上部を避けてドロップ)。5月中旬の凸凹ザラメ
  • 注意点:5月中旬以降は藪漕ぎあり。御浜小屋への登り返しはスキーアイゼン必携。笙ヶ岳〜三峰の南斜面は雪庇・クレバスあり、立ち入り注意。日差しが強く脱水・日焼けに要注意
  • 推奨時期:4月下旬〜5月中旬(ブルーライン開通後)
  • その他:下山後の温泉は鳥海温泉保養センターあぽん西浜(遊佐町)が至便

立ち寄りスポット


GPXルート図

Download file: shogatake-bc-ski-202605.gpx

GPSデータ利用上の注意

本記事のルートは正規の登山道ではありません。2026年5月時点の積雪・融雪状況に基づいています。残雪量は年によって大きく異なり、同じルートでも積雪期・融雪期ではリスクが変化します。GPSデータはあくまで参考としてご利用ください。現地での地形判断と天候確認を最優先とし、入山前には登山届の提出をお忘れなく。


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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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