【山岳紀行】

【山岳紀行】白馬主稜 ー 三月の白い稜線を辿る

北村 智明

後立山連峰の盟主・白馬岳(標高2,932m)の東面を一気に直上する白馬主稜。かつてはゴールデンウィークの名物ルートだったこの長大な雪稜を、三月に辿る時代になった。デブリの海を縫い、アイスアックスを雪に刻みながら、Kとともに駆け上がった残雪の二日間の記録である。


第一部:福島から、二股ゲートへ

三連休の初日、二十日の出発を予定していた。しかし前日の天気予報は稜線上に強風を告げており、私とKは一日ずらすことにした。慎重を期した判断であった。翌二十一日の朝、福島を発ち、磐越道から北陸道へと車を走らせた。白馬村へ近づくにつれ、後立山連峰の白い峰々が青空に浮かび上がってくる。

白馬岳(しろうまだけ)は飛騨山脈・後立山連峰の北部に位置する標高2,932メートルの高峰である。長野と富山の県境に聳え、杓子岳・白馬鑓ヶ岳とともに「白馬三山」と称される。山名の由来は春、雪解けとともに東面の岩肌に浮かび上がる代掻き馬の雪形——代馬(しろうま)がなまってこの名になったという。深田久弥が日本百名山に選んだこの峰は夏に高山植物の宝庫として知られる一方、積雪期はその豊富な積雪が白馬主稜という長大なバリエーションルートを生み出す。猿倉から白馬尻を経て山頂直下まで一気に駆け上がるこの雪稜こそが、今回の目的地であった。

TOM
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語源は代馬であり「はくば」とは呼ばない

猿倉への林道が通じる二股ゲートは、まだ冬期通行止めの看板が下がっていた。「積雪・雪崩により危険なため、安全が確認できるまで全面通行止め」——長野県大町建設事務所の赤い文字が厳然と告げている。ここから猿倉荘まで約四キロ、重いテント泊装備と登攀装備を担いで林道を歩く。荷は軽くない。雪の締まった路面を踏みしめながら、Kと進んだ。林道脇には雪崩の流末と思しき雪塊がいくつか転がっており、山の緊張感はすでにここから始まっていた。

猿倉荘を過ぎ、白馬尻へと向かう。冬の白馬大雪渓——日本最大の規模を誇るこの万年雪の谷——は、このシーズン、そこら中に雪崩のデブリをさらしていた。春を待たずして崩れた雪の塊が折り重なり、歩を止めて眺めると、山の生々しさが伝わってくる。下山してくる登山者に声をかけると、主稜を撤退したパーティーもいたという。強風か、それとも雪の状態か。一方、遅めのスタートで完登できたパーティーもいたとも聞いた。明日は慎重に、しかし前を向いて判断しなければならない。

白馬尻荘に幕営したのは午後四時を過ぎた頃だった。テントの周囲に雪のブロックを積み、風に備える。夕飯はラーメン。湯気の立つ鍋を囲みながら、Kと明日のルートを確認し合い、アックスの点検をし、アイゼンの爪を確かめた。翌二時起きのため、早めにシュラフに潜り込む。外は静かだった。星が出ていることを祈りながら、目を閉じた。


第二部:デブリを越えて、稜へ

午前二時に起床した。麻婆春雨で腹を満たし、三時半にヘッドランプを頼りに白馬尻を発つ。漆黒の斜面に、二つの光の輪が揺れる。気温は低く、吐く息が白い。寒さはむしろ歓迎だった。雪が締まっている証拠であるから。

主稜の取り付きへ向かう道は、すでに雪崩のデブリに覆われていた。大小の雪塊が積み重なり、足を置ける場所を選びながら進む。デブリを縫い、斜面の安定した雪を拾いながら八峰の尾根へと乗り込んだ。高度が上がるにつれ、東の空が薄紫に染まり始める。六峰あたりまで高度を稼いだところで、主稜の全容がようやく目に入ってきた。山頂まで続く長大なリッジラインが、朝の光の中に浮かび上がっている。杓子岳と白馬鑓ヶ岳が左手に並んでいる、先は長い。

白馬主稜は、白馬尻から山頂まで続く長大な雪稜バリエーションルートである。積雪期にのみ現れるこの稜線は、かつてゴールデンウィークに多くのクライマーが集った。しかし近年、温暖化の影響による積雪の早期減少で、五月の連休では雪が繋がらなくなってきた。三月に訪れなければ白馬主稜は登れない、という現実が静かに定着しつつある。私たちが今ここにいる理由も、まさにそこにある。

稜に乗ると、前方に長い稜線が延びていた。雪壁とナイフリッジが交互に連なり、はるか頭上に白馬岳の山頂が光っている。ここから山頂まで、標高差でおよそ七百メートル。どこが急でどこが緩いか、遠目にはよく分からない。ただ続くのが見えるだけだ。風が時折鋭く吹き抜け、身体を煽る。風がやめば汗ばむほどの陽射しで、こまめにウェアを調整しながら高度を稼いだ。アイスアックスを両手に、前爪を雪面に蹴り込んでは一歩、また一歩と登る。Kのペースも安定していた。互いに余計な言葉は要らなかった。

三峰・四峰にかかると、稜は一段と細くなった。両側が切れ落ちたナイフリッジが続き、足の置き場を慎重に選ぶ。ここで風に煽られると厄介だ。アックスを雪面に添えながら、重心を稜の中心に保って進んだ。

二峰は岩場が立ちはだかる。直上はせず、岩の際を巻くように登る。雪と岩の境目で前爪を効かせ身体を引き上げた。抜けると再び雪稜が続き、山頂が近づいていることを感じた。


第三部:核心の雪壁、そして山頂へ

山頂直下の雪壁が視野に入ったとき、私は足を止めた。傾斜は六十度前後——かつて磐梯山の東壁を登った時と比べれば幾分緩いが、それでも十分な迫力がある。主稜を撤退したパーティーもいたと聞いていた。慎重に見極める必要があった。

ピッケルで雪面を叩き、刺してみる。締まっている。表面は硬く、グリップは申し分ない。Kと顔を見合わせ、ロープを出さずにフリーで行くことを確認した。慎重さと判断のバランスを、互いに信頼していた。ダブルアックスのフロントポインティングで、雪壁へと取り付く。右のアックスを刺し、左のアックスを刺し、前爪を確実に蹴り込む。リズムが生まれる。呼吸が整う。

一歩一歩、確実に蹴り込む。壁に向き合うと、視界は雪面と青い空だけになる。風が来る。煽られる。だが雪は信頼できた。右のアックス、左のアックス、前爪——三点を確認しながら高度を刻む。雪壁の上部で斜度がやや緩み、山頂稜線が近いと感じた瞬間、ひときわ強い風が吹き付けた。アックスを深く刺し、身体を壁に押しつけて堪える。風が収まるのを待ち、再びアックスを振った。

山頂に出たのは午前十一時四十三分だった。標柱には「白馬岳 標高2932m」とある。白馬尻を発ってから約八時間、ようやくここに立った。しかし喜びを嚙みしめる間もなく、風が牙をむいた。山頂は強風で、グローブがあっという間に凍った。達成の充実感と、寒さの現実が同時にやってくる。Kと短く目を合わせ、記念写真を撮り、急いで大雪渓側へと標高を下げた。

大雪渓もまた、デブリの巣だった。あちこちに雪崩の痕跡が口を開け、どこを歩くか常に判断しながら下降した。白馬尻へ戻り、テントを撤収し、長い林道を経て下山したのは夜の七時に近かった。十四時間以上の行動であった。下山後、白馬姫川温泉・岩岳の湯で汗を流した。湯船に身を沈めると、長い一日を支え続けた筋肉が、ようやく力を抜いた。

白馬主稜らしいデブリと強風の洗礼、そして締まった雪の上での長い登攀。季節が一月繰り上がっても、山の本質は何も変わらない。白い稜線は今年も、訪れる者を試し続けていた。


記録

  • 日程:2026年3月21日(土)〜22日(日)
  • メンバー:2名(私、K)
  • 山域:後立山連峰・白馬岳(長野県・富山県)
  • ルート:二股ゲート → 猿倉荘 → 白馬尻荘(幕営)→ 白馬主稜 → 白馬岳山頂 → 大雪渓 → 白馬尻荘 → 猿倉 → 二股ゲート
  • 行動時間:1日目 4時間40分 / 2日目 14時間52分
  • 宿泊形態:テント泊(白馬尻荘付近)
  • 天候:1日目 晴れ / 2日目 晴れ・山頂強風
  • 難易度:冬季バリエーション(雪稜・急雪壁)
  • 装備:ダブルアックス、12本爪アイゼン、ハーネス、ロープ(携行)、ビーコン、プローブ、スコップ
  • 核心部:山頂直下の急雪壁(約60度)・フリー通過、稜線上のナイフリッジ
  • 注意点:デブリ多数・雪崩リスクに注意。強風時は稜線上での行動困難。雪の状態によってロープ使用を検討。
  • 推奨時期:3月〜4月上旬(近年の積雪状況による)

立ち寄りスポット

  • 白馬姫川温泉・岩岳の湯 – 白馬岩岳マウンテンリゾート(Hakuba Iwatake Mountain Resort)やその周辺を楽しんだ後に最適。大人750円。

Download file: hakuba-main-ridge-march.gpx

※ GPXデータは参考情報としてご活用ください。

GPSデータ利用上の注意

本記事のGPSデータおよびコースタイムは、あくまで当該山行時の記録です。積雪量・気象条件・メンバーの技術レベルによって、ルートの状況は大きく異なります。特に白馬主稜は積雪期バリエーションルートであり、山岳会等で十分な訓練を受けた方が登るルートです。雪崩・強風・視界不良等のリスクを伴います。GPSデータを過信せず、現地での判断と十分な技術・装備を持って入山してください。


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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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