【山岳紀行】

【山岳紀行】五色ドーム ー 師走の蔵王に挑む

北村 智明

師走の蔵王連峰へ。標高1,570メートルの五色ドームを目指す冬季バリエーションは、暖冬の悪雪と格闘する一日となった。濁川本流での落水、アイゼンに纏わりつく雪だんご、花崗岩の岩稜を攀じる緊張。仲間と共に歩んだ冬の蔵王を、一人の登攀者として綴る山岳紀行。


第一部 ー 遠刈田温泉から

遠刈田温泉で六名が集まったのは、夜明け前のことであった。東北の冬の朝は、空気が凍てつくように冷たい。吐く息が白く凍り、街灯の光が霧のように拡散している。前日、東京・上野の双子パンダが中国へ返還されるというニュースが報じられていた。半世紀ぶりに国内からパンダがいなくなるという。世の中の移ろいを感じさせるニュースである。我々は黙々と装備を確認し、蔵王へ向かう準備を整えた。

車を走らせる。暗い山道を登っていくと、次第に空が白んでくる。樹氷の森が、薄明かりの中に浮かび上がる。蔵王特有の風景だ。この山域に何度足を運んでも、この景色に心を奪われる。

マウンテンフィールド宮城蔵王すみかわに車を停めたのは、午前七時半過ぎであった。空はすっかり明るくなり、青空が広がっている。風は穏やかだ。準備を整える。午前八時過ぎ、ワカンとストックを手に取った。取り付きまではラッセルが予想される。アイゼンとハーネスはザックに仕舞い、核心部で装着することにする。今日は仲間たちと共に挑む個人山行である。

あとみゲートを抜け、キャット道を黙々と歩く。雪は多いが、気温は高い。十二月下旬とは思えない暖かさである。暖冬の影響であろう。ワカンが深雪に沈む。ストックで雪面を探りながら、慎重に進む。かつて、この時期の蔵王はもっと冷え込んでいたはずだ。近年の気候変動が、確実に山の様相を変えている。不安は確かにあった。雪質が読めない。

大黒天登山口に到着したのは、午前九時四十九分。ここから五色ドームへの本格的な登攀が始まる。五色ドーム。標高1,570メートル、五色岳の中腹に位置するこの雪と岩の混成地形は、蔵王の厳しい気象条件が造り出した冬の要塞である。蔵王連峰は宮城県と山形県にまたがる火山群で、五色岳、刈田岳、熊野岳といった峰々が連なり、冬季には高度な技術を要する山行の舞台となる。

眼前に広がる雪稜を見上げた。青空が広がり、遠くに五色岳の山容が美しく浮かび上がっている。風は穏やかだ。仲間たちと視線を交わし、頷き合う。S、U、そして二人のT。それぞれが経験を積んだ登攀者である。我々は黙々と高度を稼いでいった。雪を踏みしめる音だけが、静寂を破る。


第二部 ー 濁川本流、そして岩稜へ

大黒天登山口を過ぎ、ワカンを履いてしばらく進む。雪は深く、ストックで雪面を探りながら慎重に歩を進めた。樹林帯の中は静かだ。時折、枝から雪が落ちる音が響く。

濁川本流の渡渉点に差し掛かったのは、登山口から一時間ほど経った頃であった。雪に覆われた沢の流れは細く見えたが、油断は禁物である。

渡渉を試みた。ワカンを履いたまま、慎重に足を踏み出す。その瞬間、足元の雪が崩れた。

次の瞬間、私の片足は冷たい水の中にいた。身体が一瞬硬直する。仲間たちの声が聞こえたが、まずは自力で這い上がることに集中した。雪を掴む。何とか対岸に這い上がったが、冷や汗が背中を伝った。

「大丈夫か」

Sの声である。頷いて答えた。幸い、濡れたのは靴の一部だけだ。致命的ではない。しかし、この暖かさゆえの雪質の悪さを、身を持って知ることとなった。雪の下に潜む水流。これも、暖冬がもたらした危険の一つだ。

気を取り直して先へ進む。さらに高度を稼ぎ、取り付き地点が近づいてくる。

さらに厄介だったのは、アイゼンに纏わりつく雪だんごである。一歩進むごとに、爪の下に雪が固まっていく。まるで靴底に石が挟まったような不快感だ。これでは安定したステップが踏めない。立ち止まり、ストック、ピッケルの石突きで丁寧に雪を落とす。カンカンと金属音が響く。仲間たちも同じ作業を繰り返している。この作業を何度繰り返しただろうか。

五色ドームの取り付き点に到達したのは午前十一時を回った頃であった。ここでワカンを外し、アイゼンに履き替える。ストックをザックに仕舞い、ピッケルを手にする。ハーネスを装着し、ロープを確認する。全員の装備を確認する。ハーネスの締め具合、カラビナのロック、ヘルメットの固定。ここからが本番だ。

核心部の岩稜が眼前に立ちはだかる。高さは十メートルほどか。花崗岩の岩壁である。雪と氷に覆われているが、所々に岩肌が露出している。Sが先行し、ロープを伸ばしていく。彼の動きを見守る。

私の番が来た。手袋越しに岩の冷たさが伝わる。花崗岩の粒子が指先に感じられる。ホールドを探り、確実に体重を預けられるかを確認する。足元のアイゼンの爪を岩の窪みに慎重に置く。前爪が岩を噛む感触。一手一手が緊張を伴った。

雪だんごがアイゼンに付着し、フットワークが不安定になる。岩に足を置いた瞬間、滑る感覚。恐怖を感じた。立ち止まり、片手で岩を掴みながら、もう片方の手でピッケルの石突きを使って丁寧に雪を落とす。バランスを崩さないように、慎重に。この作業を、登攀中に何度も繰り返す。

刈田岳の山容が眼前に広がる。雪を纏ったその姿は、白磁の肌のように滑らかで美しい。だが、今はその景色を楽しむ余裕はない。目の前の岩稜に全神経を集中させる。

ロープが張られる。我々は順番に岩稜を登っていった。TとUも慎重にホールドを選んでいる。一人ずつ、確実に高度を稼いでいく。

五色ドーム直下に到達したのは午後二時過ぎであった。疲労は確かにあったが、達成感がそれを上回る。眼下に広がる蔵王の山並みは、冬の陽光を浴びて輝いていた。熊野岳の雄大な姿が、遠くに霞んでいる。ここまで来られたことに、安堵した。


第三部 ー 雪のルンゼを下る

下降は登攀とは対照的に、雪のルンゼを選んだ。登ってきた岩稜を下るよりも、こちらの方が安全である。リスクを最小限にする判断だ。

ルンゼには良質な雪が詰まっていた。アイゼンを蹴り込むと、しっかりとしたステップが得られる。キックステップの感触が心地よい。先行したSの足跡を辿りながら、慎重に高度を下げていく。

新雪を纏った斜面は、一切の汚れを拒む純白の帳のようであった。その中を静かに下っていく。雪を踏みしめる音だけが、ルンゼに響く。上半身はソフトシェル一枚だが、寒さは感じない。むしろ、核心部を越えた安堵感で身体が軽い。緊張から解放された瞬間、肩の力が抜けていくのが分かる。仲間たちも順調に下っている。

途中、アイゼンに再び雪だんごが付着した。立ち止まり、ピッケルで丁寧に落とす。暖冬の影響は、下降でも油断を許さない。しかし、ルンゼの雪は登攀時の岩稜に比べれば、はるかに歩きやすかった。この雪質の良さに、感謝する。

往路に戻った地点で、再びワカンに履き替えた。アイゼンをザックに仕舞い、ストックを手にする。ここからは長い帰路である。疲労が脚に溜まり始めているのが分かる。だが、まだ下山は終わっていない。

キャット道に戻ったときには、既に日は西に傾いていた。長い道のりだ。影が長く伸びている。疲労が脚に溜まっている。一歩一歩が重い。だが、我々は黙々と歩き続けた。仲間たちと言葉を交わすこともなく、ただ前を向いて歩く。

あとみゲートを抜け、マウンテンフィールド宮城蔵王すみかわに戻ったのは午後四時二十分。八時間十七分の行動時間であった。空はまだ明るいが、疲労感は確かにある。

装備を片付けながら、今日の山行を振り返る。濁川本流での落水、アイゼンの雪だんご、岩稜の登攀。どれも冬山の厳しさを教えてくれた場面である。良いトレーニングになった、と言えばそれまでだが、山は我々に常に学びを与えてくれる。

かつての冬とは明らかに違う、この暖かさ。雪質の悪さ。気候は確実に変わっている。それでも、山は変わらず我々を迎えてくれる。その事実に感謝する。

蔵王らしい雪と岩の山行であった。五色岳、刈田岳、熊野岳の美しい山容は、冬の澄んだ空気の中で鮮やかに輝いていた。師走の一日を、仲間と共に過ごせたことに感謝する。


記録

日程: 2025年12月20日(土)
メンバー: 6名
山域: 蔵王連峰(宮城県)
ルート: マウンテンフィールド宮城蔵王すみかわ → あとみゲート → 大黒天登山口 → 濁川本流渡渉 → 五色ドーム(1,570m) → 往路を戻る
行動時間: 8時間17分(休憩含む)
スタート地点: 遠刈田温泉(宮城県)
距離: 9.9km
累積標高差: 登り644m / 下り644m
宿泊形態: 日帰り
天候: 晴れ
雪質: 暖冬による悪雪(雪だんご付着)
難易度: 冬季バリエーションルート
その他特記事項: 濁川本流渡渉で落水、アイゼンワークに注意を要する雪質、花崗岩の岩稜登攀


Download file: zao-goshiki-dome.gpx
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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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