【山岳紀行】

【山岳紀行】粟ヶ岳 ー 春の花野と、遠い空のさざめき

粟ヶ岳の登山道から望む残雪の御神楽岳方面の山並み View towards the snow-capped Mt. Mikagura from the Mt. Awagatake trail.
北村 智明

四月の終わりが近づくころ、越後の山は静かに目覚める。スプリング・エフェメラル——春のはかないもの、あるいは「春の妖精」とも呼ばれる草花が、雪解けの土を押し上げるようにして咲き出す季節。福島から車を走らせながら、私はラジオから流れてくるニュースに耳を傾けていた。米国とイランの停戦交渉が難航しているという。ホルムズ海峡を巡る緊張は続き、世界のどこかで砲声が響いている。そのことと、これから向かう山の静寂とが、頭の中で奇妙に並存していた。


第一部:林道を歩き、花に迎えられる

日曜日。粟ヶ岳県民休養地の駐車場に車を停めたのは、午前八時前であった。

粟ヶ岳の登山口へと続く静かな林道


Quiet forest road leading to the Mt. Awagatake trailhead.
まずは林道を歩き、山の懐へと入っていく。

粟ヶ岳——あわがたけ——は新潟県加茂市と三条市の境に聳える標高1,293mの山である。日本三百名山の一座に数えられ、川内山地の盟主として蒲原平野にその三つの頂を晒す。古地図には「青海ヶ岳」「淡ヶ岳」とも記され、阿波の国から移住した源氏の子孫が故郷を偲んで名付けたとも伝わる、由緒ある山名だ。

朝の光を反射する粟ヶ岳登山口付近の貯水池Reservoir near the Mt. Awagatake trailhead reflecting morning light.
鏡のような水面が、登山者を静かに迎える。

Kと二人、まず林道へと踏み出した。二人で山菜をとりつつ、やがて水面が朝の光を受けて鈍く光るダムが現れた。その堰堤を越え貯水池のほとりを回り込むように歩いていたところで、Kが足を止めた。

「これじゃないですか」

粟ヶ岳に咲く固有種のアワガタケスミレEndemic Viola awagatakeana blooming on the rocky area of Mt. Awagatake.
この山を名に冠するアワガタケスミレ。その可憐な姿に足が止まる。

岩の割れ目に、小さな紫の花がひっそりと咲いていた。アワガタケスミレである。一九九七年に新種として記載されたこの菫は、新潟・福島・山形の内陸部に限定的に生育する日本固有種で、環境省のレッドリストに準絶滅危惧として掲載されている。種小名「awagatakensis」が示す通り、この粟ヶ岳こそが基準産地だ。長い距が斜上する小さな花弁は、紅紫から淡紫へと微妙に色を変える。群生というほどではないが、岩壁の各所にその姿が散らばっていた。我々はしばらく無言で眺めた。

新緑に包まれた粟ヶ岳の明瞭な登山道Clear mountain trail of Mt. Awagatake surrounded by fresh greenery.
新緑のトンネルを抜けて。足元の感触が心地よい。

中央登山口からいよいよ登山道に入る。道の両側は花の回廊であった。

雪解けの斜面に群生する紫色のカタクリの花Clusters of purple Erythronium japonicum flowers on the slope.
春を告げるカタクリ。斜面一面を紫に染め上げる。

カタクリの群れが登山道を縁取り、コブシの白い花が頭上で風に揺れる。

淡いピンク色のイワウチワPale pink Shortia uniflora blooming.
一斉に咲くイワウチワ。厳しい環境に咲く強さと美しさを兼ね備えている。

山桜がまだ散らずに残り、イワウチワの淡いピンクが岩肌に張り付いている。

雪解けの斜面に咲くショウジョウバカマの花


Shojobakama (Heloniopsis orientalis) blooming on the slope.
雪解け直後に姿を現すショウジョウバカマ。何故か黄色いやつを撮る。

ショウジョウバカマは朱を差したように鮮やかだ。

春の山に黄色い花を咲かせるマンサクの木Japanese witch hazel (Mansaku) with yellow flowers in early spring.
黄金色のマンサクが、春の光を透過させて輝く。

マンサクの黄色い細糸のような花も、所々に燈火のごとく灯っていた。


第二部:急登と残雪と、山頂の宴

標高を稼ぐにつれて、花の種類は変わり、道は急になった。

粟ヶ岳の険しい岩場に張られたフィックスロープの補助Fixed ropes installed on a steep rocky section of Mt. Awagatake.
フィックスロープが張られた難所。慎重に、確実に進む。

粟ヶ岳の中央登山道は、六合目の粟庭の頭に差し掛かるまでにすでに相応の汗をかかせる。鎖場では慎重に足場を確かめ、ロープを補助に使いながら一歩ずつ登った。

急斜面に設置された垂直に近いアルミ製のハシゴ
ハシゴを登り、標高を一気に稼ぐ。

変化に富んでいると言えばそうだが、正直なところ急登の連続であり、単調さを感じる場面もある。息を整えながら、「これが粟ヶ岳の本性か」と思った。

粟ヶ岳の稜線に立つ避難小屋・粟ヶ岳ヒュッテMt. Awagatake Hut, an emergency shelter on the ridge.
稜線に佇む粟ヶ岳ヒュッテ。登山者の大切な憩いの場。中は結構綺麗にされている。

七合目の粟ヶ岳ヒュッテに到着したのは午前十一時半を過ぎたころ。小屋の前後から残雪が顔を出し始めた。アイゼンは不要と判断した。ツボ足で雪面を踏みながら、慎重にルートを拾っていく。残雪といっても厚みはさほどなく、踏み抜くほどではない。締まった雪の上を、ゆっくりと進む。

木漏れ日の中で咲く青紫のキクザキイチゲ
ひっそりと咲くキクザキイチゲ。青紫が陽の光に映える。

九合目の北峰を越えると、視界が一気に開けた。足元には青紫のキクザキイチゲが咲き乱れていた。稜線近くまで登ってきてようやく出会えた花だ。

粟ヶ岳山頂から望む真っ白な雪を冠した守門岳Snow-capped Mt. Sumon viewed from the summit of Mt. Awagatake.
山頂から守門岳方面を望む。会越の名峰達がその威容を誇る。

守門岳の丸い山容、御神楽の険しい稜線、そして遠く会津駒ヶ岳と燧ヶ岳の白い頭が霞の向こうに浮かんでいる。蒲原平野は春霞に包まれ、その向こうに弥彦山と角田山のなだらかな姿が並んでいた。

粟ヶ岳山頂に設置された周囲の山々を示す方位板Mountain direction plate at the summit of Mt. Awagatake.
方位板で周囲の名峰を確認。改めて登頂の喜びを噛みしめる。

山頂到着は正午を過ぎたころ。標高1,293m。

粟ヶ岳山頂で調理した、採れたての山菜をのせた自作ラーメン


Homemade ramen with freshly picked wild vegetables at the summit.
山頂で仕上げる特製山菜ラーメン。これぞ登山の醍醐味、最高の贅沢。

ザックからコッヘルを取り出し、水を沸かした。袋ラーメンを鍋に入れ、買ったタラの芽、コシアブラ、シドケをそのまま加える。山菜の香りが湯気とともに立ち上り、稜線の風が運んでいった。山頂での食事としてこれほど贅沢なものはそうあるまい。コシアブラの苦みと、タラの芽の独特の香りが、スープに溶け込んでいた。山菜ラーメンを啜りながら、私たちは一時間以上を山頂で過ごした。

それにしても、四月としては暑い日であった。ラーメン用を含めて、私一人で水を二リットル近く消費していた。山頂でも汗ばむほどで、近年の気候変動の影響を否応なく感じさせる。残雪は残るが、その量は昔語りに聞く量とはかけ離れているに違いない。


第三部:下山、そして春の食卓へ

下山は来た道を戻る。

登りで汗を絞られた急斜面は、下りでは足への負担となった。鎖場では特に慎重を期し、ロープをしっかりと握った。体重を前に乗せすぎず、重心を意識しながら一歩一歩降りていく。疲れた脚には、下りの方が気を使う。

六合目で一息入れた。眼下には蒲原平野が広がり、平野の向こうには水原方面の集落が霞んでいた。この景色を眺めながら、世界の情勢のことをふと思った。どこかの海峡が封鎖され、どこかの空港に戦闘機が並んでいる。それでも春は来て、カタクリは咲き、山菜は芽吹く。山はいつも、人間の営みとは別の時間の中にある。

林道に降り立ち、ダム際のアワガタケスミレをもう一度だけ確かめた。午前中と変わらず、岩の割れ目に静かに咲いていた。

新潟県五泉市の名店、ア・ラ・モードキムラの店舗外観
登山の締めくくりは、ア・ラ・モードキムラへ。

下山後は五泉市のアラモード・キムラへ向かった。一九七一年創業、新潟産牛乳を使った手作りのアイスで地元に知られる老舗だ。野苺、塩、コーヒーの三種を注文し、店内で口に運ぶ。疲れた体に冷たい甘さが沁みた。野苺の酸味と、塩のきりりとした後味が、特に印象に残った。

ア・ラ・モードキムラの彩り豊かなジェラートとアイスColorful gelato and ice cream from A La Mode Kimura.
冷たいジェラートが、疲れた身体を甘く解きほぐしてくれる。

さらに阿賀野市の出湯温泉共同浴場へ。地元では「新湯」と呼ばれるこの共同浴場は、単純温泉の源泉100%かけ流し、大人二五〇円。湯船につかると、疲労が静かにほどけていくようだった。脱衣所でひとりの地元の方と目が合い、「おやすみなさい」と軽く会釈をした。そのような、何でもない時間が好きだ。

春の味覚、コシアブラのおひたしの小鉢Small bowl of boiled Koshiabura (wild vegetable ohitashi).
余った分はコシアブラのおひたし。山歩きの余韻を肴に。

帰宅してから、残しておいた山菜を台所に広げた。タラの芽、コシアブラ、シドケの三種をまず天ぷらにした。揚げたてをひとつつまむと、コシアブラの香りが口の中に広がる。残ったコシアブラはおひたしにした。山の香りが台所に満ちた。

粟ヶ岳らしい急登と眺望、そして春の花野の豊かさ。四月の越後を満喫した一日であった。


記録

  • 日程:2026年4月19日(日)日帰り
  • メンバー:2名
  • 山域:越後山脈・川内山地(新潟県加茂市・三条市)
  • ルート:粟ヶ岳県民休養地 → 林道 → 中央登山口 → 大栃平 → 6合目粟庭の頭 → 7合目粟ヶ岳ヒュッテ → 9合目北峰 → 粟ヶ岳山頂(ピストン)→ 県民休養地
  • 行動時間:山行7時間09分 / 休憩1時間50分 / 合計9時間01分
  • 距離・標高差:距離12.0km、登り約1,275m、下り約1,275m
  • 宿泊形態:日帰り
  • 天候:晴れ(気温高め、山頂でも汗ばむ陽気)
  • 残雪:7合目ヒュッテ付近から残雪あり(ツボ足で通過可)
  • スタート地点:福島市内 → 北陸自動車道 → 三条燕IC → 粟ヶ岳県民休養地
  • 装備:軽登山靴、バーナー・コッヘル、防寒着(稜線用)
  • 核心部:6合目粟庭の鎖場(鎖・ロープを使用した岩斜面)
  • 注意点:残雪期は7合目以上でスリップ注意。夏季はヤマビル被害報告あり。この時期の粟ヶ岳は山菜が豊富ですが採取せず、鑑賞に留めてください。
  • 推奨時期:4月下旬〜6月(春花・山菜)、6月下旬(ヒメサユリ)、10〜11月(紅葉)

立ち寄りスポット

  • アラモード・キムラ – 1971年創業、五泉市の老舗手作りアイス店。新潟産牛乳使用のジェラートが人気
  • 出湯温泉共同浴場 – 阿賀野市・五頭温泉郷。源泉100%かけ流し、大人250円、年中無休(6:00〜20:00)

Download file: awagatake-spring-ephemeral.gpx

【GPSデータ利用上の注意】

本記事で公開しているGPSデータは、あくまで当日の記録です。以下の点にご注意ください。記録は一部取れていません。

  • 天候、登山道の状態は日々変化します。当日と同じ条件とは限りません
  • 残雪の有無、雪面の締まり具合は時期により大きく異なります
  • 6合目の鎖場は濡れた状態で難度が増します。慎重に通過してください
  • GPSデータはあくまで参考情報です。ご自身の技術・経験・体力を考慮し、慎重に計画を立ててください
  • 不安がある場合は、経験者と同行するか、ガイドツアーのご利用をお勧めします
  • 登山は自己責任の世界です。安全第一で楽しんでください

【追伸:粟ヶ岳の春を、あなたにも】

粟ヶ岳での春山の記録、最後まで読んでくださりありがとうございます!

記事の中でご紹介したように、この山は春の花野の彩りと、守門・燧・会津駒が連なる大展望が魅力です。山頂まで続く急登はそれなりに歯ごたえがありますが、足元に咲く花々が確実に足を止めてくれます。

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私も粟ヶ岳で感じた、あの「春の越後の山の豊かさ」と「大展望の開放感」を、あなたにも満喫していただけるよう、心を込めてご案内します!

まずは、ご興味がありましたら、どうぞ気軽にご相談ください。

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ABOUT ME
北村智明
北村智明
登山ガイド
日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージ2。ガイド歴10年。東北マウンテンガイドネットワーク及び社会人山岳会に所属し、東北を拠点に全国の山域でガイド活動を展開。沢登り、アルパインクライミング、山岳スキー、アイスクライミング、フリークライミングと幅広い山行スタイルに対応。「稜線ディープダイブ」では、山行の記憶を物語として紡ぎ、技術と装備の選択を語る。
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